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2018年7月30日 (月)

『甲子園に挑んだ監督たち』

特に意識していたわけではないが、消えていった色街やストリップ劇場の経営者など、昭和の匂いが残る土地や人をテーマとしてきた。

今回の本の中でも、骨子のひとつに昭和の野球というものがある。
当時は練習中に水は厳禁、丸刈り、上下関係の徹底と野球部といえば、
厳しい部活の代名詞だったと思う。私はそのスタイルを快く思っていなかったが、
この頃、前近代的だと当時のスタイルが否定され、試合中にマウンドで投手が給水していたりする姿を目にすると、
正直、違和感を覚えずにはいられない。
野球部が変化していった背景には、一概には言えないが、少子化による子供の過保護、気候の変動、経済構造の変化による日本社会の欧米化などがあげられるだろう。
今回取材した元監督の方々には、昭和野球の象徴とも言うべき精神力を前面に押し出した方 が少なくない。金足農業の嶋崎元監督は、昭和59年夏の甲子園準決勝で桑田清原のPL
学園を土俵際まで追い詰めた。 冬場の合宿などの猛練習でエリートでない選手たちを鍛え上げ、甲子園で快進撃をみせた。雑草軍団とも呼ばれた金足農業は、少年時代の心に焼きついたチームであった。あの当時は、現在のように分業制ではなく、エースの水沢投手が大黒柱だった。エースがひとりで投げ抜くということに対して、投手生命を考えて、否定されつつあるが、あの時代甲子園のエースには、先を見ずにこの甲子園でも潰れてもいいという潔さのようなものがあったように思う。それがある種の美しさを生んでいなかったか。
 
甲子園は時代によって変化していくものであるから、プレイスタイルが変わるのは仕方ないが、最近妙に昭和の野球が懐かしく感じる。
 

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