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2012年2月

2012年2月26日 (日)

黄金劇場

先日、福島での撮影中、横浜の友人から一通のショートメール。それは黄金劇場に摘発が入ったとの連絡だった。ネットのニュースを見たら、連行されて行く劇場のママが映しだされていました。仕事部屋から川を挟んた対岸にある黄金劇場、2007年ぐらいから、ママや踊り子さん、従業員の方々、さらにはお客さんなど、幾度となくカメラを向け続けてきました。容疑は性的なサービスの提供とポラロイドでの写真撮影とのこと。ポラロイドまでならどこの劇場もやっていることだから、お目こぼしの範囲だったのだろうけど、性的なサービスがいけなかったんだろうな。お客さんは年金もらっているような、高齢の方が多かったから、いかがわしい場所という印象があるストリップ劇場だけども、そうした人々にとっては憩いの場所だったわけです。テレビや新聞が警察にくっついて映像をおさえていましたが、御用取材ばっかしてないで、ストリップ劇場をはじめ世の中の悪所と呼ばれる場所が、どんどん消えていく昨今、元々性に対して寛容だったこの国で、浄化浄化と一見を町をきれいにしていったら、どんなことが起きるのか、ちょっとは考えることも必要なんじゃないでしょうか。捕まってしまった、ママや踊り子さんは大変でしょうが、早く再開できるといいですね。

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2012年2月25日 (土)

中條義塾

昨日は東京の大塚にて、昨年亡くなった写真週刊誌フライデー記者中條茂さんを偲ぶ会が行なわれました。2004年にフリーとなるまで、5年間フライデーに在籍し、取材の現場で多くの貴重な経験を積ませてもらいました。その当時、いろんな方にお世話になりましたがその中の一人が中條さんでした。一緒に現場を歩かせてもらった思い出がたくさんあります。実際に記事になったことはもちろん覚えていますが、それ以上に掲載されることはなかったけれど、記憶に残っていることが多々あります。最近は経費がかかることもあり、僕がいた頃のようにとりあえず週刊誌的に面白そうな事件は何でも拾えというような状況ではなくて、事件取材の機会がどんどん減っていると聞いています。テレビや新聞とは違った角度で記事を作る手前、様々な人に会って話を拾うというのが大原則であり、とにかく現場周辺の民家、夜になればスナックやら赤提灯をまわって話を聞いてまわるわけです。時には現場とは関係ない場所もまわるのが中條流。そこでスナックのママの身の上話を聞き込み以上に真剣に聞いていたりすることもありました。一度北海道へ取材に行き、何日か取材をして、残念ながら記事にならないことが決まり、東京へ帰って来いということになったのですが、取材現場の松前から函館に戻る途中、通りかかった海沿いの寂しい港町に中條さんの好きそうな赤提灯が灯っていて、「ちょっと寄ってこか」と入ったわけです。会話の内容ははっきり覚えていませんが、店のママが中條さんと意気投合し、同行していた僕にも新巻鮭をわざわざ送ってくれたこともありました。他にも今から10年以上前に、取材した方が、それ以来会っていないにもかかわらず、「中條さんは元気ですか?」と聞いてきたりと、取材者である前に人に強い印象を残す方でした。こんなことを言っては失礼かもしれませんが、署名原稿をばりばり書いて人に感銘を与えるというのではなく、その立ち振る舞いや生き様で、強い印象を残された方だったと思います。僕がフライデーに入ったのが27歳の時で、今年40歳を迎えるわけですが、当時中條さんに「お前は悩みなんて、ないだろう。無邪気でいいな」と良く言われたものです。もうお会いすることは叶いませんが、できることなら、また会って今の年齢になって気がついたことなど、話してみたいものです。昨日は、中條さんの奥様と2人の息子さんを含めて20人近くの人間が集まり、テーブルの中心に置かれた中條さんの遺影を囲み、思い出話に花を咲かせたわけですが、特に印象が残ったのは、中條さんは自分が仕事をしたフライデーを2冊ずつ大切に保管していたというエピソードです。週刊誌記者として誇りを常に持ち続けていた方だったんですね。まだまだ皆の心にはそれぞれの中條さんが生きているのだと実感した次第です。ちなみに中條義塾とは、中條さんが元気な頃、彼を慕うフライデーの若手編集者、記者、カメラマンが中條さんを囲んで、仕事のことから与太話まで様々な事をだらだらと話をする集いでした。まだまだ中條義塾は続いていくと思います。

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2012年2月24日 (金)

福島に行ってました

今週の日曜日から福島に行っていて、昨晩帰って来ました。大震災から1年だから撮らなきゃなと思っていたりしたのですが、それよりも何十年と長いスパンで福島の問題は続いていくわけなので、あんまり気にしないことにしました。マイペースで通い続けようと思っております。今日からは原稿に集中して、仕上げようと思っています。

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2012年2月17日 (金)

帰国しました

この時期に東南アジアから帰ってくると、寒さが身に沁みます。今ちょっと、長い原稿を書いていて、まとめているところです。バンコクでやろうかなと思っていたのですが、ウィークエンドマーケットに通ったり、ちょっとした撮影をしたり、人に会ったりしていたら、ほとんど時間を割けませんでした。どっかの温泉にでもこもらないといけないですかね。そんなわけで、今月一杯は原稿に集中しようかなと思っております。

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2012年2月14日 (火)

バンコク

今日はバレンタインデーということもあり、いきつけのカフェがあるデパートの中を歩いていたら、若い男性たちがこぞって薔薇の花を買っておりました。昔からバレンタインデーには、何の縁も無いので、今日気がついたぐらいです。そういえば、先日会った、現地在住の黒田丸がこっちでは、男性が女性にプレゼントを渡すんですよと、言ってたような気がしました。こちらでの取材は、無事終えたので、明日帰ります。

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2012年2月 9日 (木)

タイ北部

今回、初めてタイ北部の山岳地帯を訪ねてきましたが、景色がとてもネパールに似ていて、とても懐かしい気持ちになりました。景色もさることながら、何より人が穏やかで、大変居心地が良かったです。学生時代を除き、タイで取材をはじめて10年になりますが、もっと早く来ておけばと、ちょっぴり後悔しました。僕が訪ねた地域は、先の大戦のインパール作戦の終着点だった場所でもあり、兵士の中には帰ることを拒み、住み続けた者もいました。あの戦争から60年以上が経ちますが、彼らが残ろうと思ったのには、様々な事情があったと思いますが、土地の人々の温かさも大きかったのではと思った次第です。今度はいつになるか、わかりませんが再訪したいですね。

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2012年2月 5日 (日)

田舎町

チェンマイから、原チャリで疾走すること7時間、メーホーソン近郊の町に到着しました。静かな町で、夜は涼しいので心地よいです。この町では、博物館を訪ねようと思って来たものの、改装中だとのことで開いておらず、明日何とか開けてもらえることになりました。警備員のおっちゃんが、何かと助けてくれたので感謝です。田舎町でもネットが繋がるカフェがあり、暇つぶしに役立ちました。
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2012年2月 2日 (木)

タイ東へ西へ

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ラオス国境のムクダハンという町でメコン川を眺め、翌日にはバスに16時間揺られて北タイのチェンマイへとやって来ました。バンコクを出てからというものの、東へ西へとせわしなく動き回っております。バスや列車の旅というのは嫌いではないのですが、16時間もバスに乗ったのは、久しぶりですね。学生の頃は良くこうした移動をしたものです。バスに一人乗っかり外の景色を眺めていると、いろいろと考え事ができて良いものですが、さすがに長過ぎました。あさってから、ビルマ国境へと向かいますが、バスではなくて原チャリで行ってみようかなと思っております。


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