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2011年7月

2011年7月28日 (木)

ヤンゴン

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こちらは雨季なので、時おり激しい雨がやってきます。スコールのように降る時もあれば、ミッチーナでは2日ほど雨が降り続きました。その降り様バザールの果物のようで様々です。ヤンゴン市内も色々と見たいなと思っていて、ホテルのエレベーターにのるたび有名な金色で巨大なパゴダがいつも目に入ってきたりして、そのたび行こうと思うのですが、まだ足を運んでません。なんだかんだ、ホテルの近くにあるビリヤニ屋の往復に終始しています。ビリヤニとはインド風の炊き込みご飯で、鶏肉がのっかっているのが好みです。僕の行っている店では、マトンと魚の三種類がありますが、ほとんどの客はチキンかマトンを食べているようです。料理の写真をのっけたいと思っているんですが、食い意地がはってしまい、いつも食い終えてからそのことに気がつきます。まともに撮れたことがありません。みんなもりもり食べているビリヤニ屋の写真を貼っておきます。

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2011年7月26日 (火)

モンユワ

マンダレーからバスに乗って3時間ほど西にいったところにあるモンユワという町にいます。町の側にはチンドウィン川という大河が流れていて、居心地がよい町です。2泊ほどこの町でしたのですが、今晩にはヤンゴンに向かいます。この町は、インパール作戦の失敗で逃れてきた兵士たちの墓場ともなったし、この町で静養し命を繋いだ人もいたということです。街中に弓兵団の慰霊碑があったので、お参りしてきました。話は変わりますが、ここミャンマーの特徴として、とにかく人がよく、品のある人が多い、物を買っておつりを出すときや品物を渡すとき、ほとんどの人が右手に左手を添えます。町を歩いていても、穏やかな人が多く、不快な思いをほとんどしません。この国に住んでいるわけでもないので、このような見方は表面的に過ぎないのかもしれませんが、今までいろんな国に行きましたが、ミャンマーみたいな国というのは、思い当たりません。聞くところによる、日本の戦前のような古風さが保たれているというのは、ひとつの理由として、ほぼ鎖国に近い政策を取っている政権による副産物という側面もあるのかもしれません。国がグローバリズムに呑まれおかしくなる様は、ネパールで散々見てきたので、この国の人の美しさというものは、保ってもらいたいものです。この国の政治体制というのもいろいろ言われますが、とにかくいろんな事を考えさせれる国です。

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2011年7月22日 (金)

シャン州

まだミャンマーをほっつき歩いております。カチン州のミッチーナという町から、シャン州の田舎町に来ています。ミッチーナからマンダレーまで列車に乗って来たのですが、今まで乗ってきた乗り物の中で、一番の揺れでした。列車というよりは、何かの生き物背中に乗っているような感じで、夜中に何度も体が飛び跳ね、その度に起こされた次第です。それでも、乗り合わせた乗客と仲良くなれるのも列車の醍醐味なわけで、今回はうっかり何も買い込まずに列車に乗り込んでしまったのですが、乗り合わせた、ビルマ人やネパール人の方々が、食べろと食べろと、弁当やフルーツを恵んでくれたので、助かりました。懲りずにマンダレーからヤンゴンへと戻る際も列車に揺られて帰ろうと思っています。

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2011年7月12日 (火)

ミャンマー

2002年の5月に行って以来、久しぶりにミャンマーへ行って来ようと思います。穏やかな人情に触れられたのが、良い印象として残っています。今、バンコクにいて明日の飛行機でヤンゴンに入ります。「このところ良くバンコクに来てますね」と友人の黒田君やスラムの住人から会社社長へと登り詰めたバンコク版太閤記のミスター齋藤から言われましたが、言われてみればそうですね。今回はいつものワタナベマンションから、ネットで安く予約できたので、スクンビット界隈に泊まっています。今日は、ミャンマー系ネパール人でナナのテーラで働いている友人と会って、情報を収集してきました。ミャンマーの北部には第二次大戦で日本軍と戦ったグルカ兵がそのまま居着き、その子孫が多く暮らしているので、ネパール語が有効活用できるので有り難いです。ミャンマーに入ったら、どこまでネットが使えるのかわからないですが、時間をつくってアップしたいと思います。

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2011年7月 3日 (日)

タイ

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イセザキ町に用事があって、黄金町からぶらぶら歩いていたら、若葉町にあるタイの食材などを売っていた雑貨屋が潰れていることに気がついた。黄金町のちょんの間が営業していた頃は、この界隈にはタイレストランが軒を並べ、店からはタイ音楽が流れ賑やかなもんだった。店から流れていた音楽というのは、タイ東北部イサーン地方の音楽だった。そして、今日はタイの総選挙でタクシン派が圧勝だとのこと。タクシン派の地盤がイサーン地方なのである。イサーンの人々といえば、バンコクへの出稼ぎ者が多く男性ならば建設現場やタクシー運転手、女性なら工場労働者や水商売など、タイ経済を下支えしてきた存在である。そうした人々に対して目を向けた政治家がクーデターで追放されたタクシンだった。軍部や既得権益も持っている者からすれば、タクシンの存在は厄介なわけだが、持つ者と持たざる者という構造が変わらない限り、タクシンを追放したところで、その人気は衰えをみせない。またひと波乱起きるだろうなと思う次第です。

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2011年7月 1日 (金)

福井白装束

このところの暑さの影響ってわけじゃありませんが、チョンボを連発しています。おとといはとある国のビザ申請に行き、書類は書き上げたものの窓口でパスポートを忘れたことに気がつき、窓口のお姉さんに笑われたうえ、とぼとぼと帰宅。今日は、写真集のデータを渡しに出版社を訪ねたのですが、渡し終え出版社を出ると担当のKさんから電話。嫌な予感とともに出ると、「福井白装束というファイルが入っているんですが」と困った声。何でそんなファイルを入れて渡したのか、自分でも意味不明なのですが、とにかくKさんにしたら、訳の分からないデータ。急いで家に帰り、Kさんにご足労いただきデータを渡す。今のところ何の連絡もないので、福島のデータを渡せたと思います。それにしても、間抜けぶりを暑さのせいにしちゃいけないですね。気をつけます。

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