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2011年4月

2011年4月30日 (土)

またまた福島

今日は昼過ぎまで写真のプリントをしたあと、新宿にて福島の写真を見てもらう。そして、これからまた福島に行ってきます。

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2011年4月28日 (木)

帰宅

福島から帰ってきました。むこうはまだまだコタツが大活躍なので、こっちに帰ってくると、蒸しますね。農家に居候させてもらっているので、漬け物やゴハンが美味しいので、ついつい食べ過ぎてしまいます。普段は漬け物なんで食べないんですけど、白菜の漬け物が絶品です。GWはできる限り向こうで過ごそうと思っております。何だか取材している者が、福島は居心地が良いので避難しているような状況です。まだまだ発表先も決まっていませんが、いい写真をたくさん撮りたいと思っております。

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2011年4月23日 (土)

福島

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今回、東北を行脚する予定だったのですが、最初に足を踏み入れた福島でずっと取材をしていました。やはり、現在進行形である原発の問題に焦点を当てたいと思ったからです。今回アップした写真は今は立ち入りができなくなっている20キロ圏内で撮影しました。今後20キロ圏外でも計画的避難地域に暮らす人々は立ち退かなければならないのですが、放射能による土壌汚染の問題もあり、故郷に戻ることができるのはいつになるのか定かではありません。時間の許す限り、現地を訪ね撮影を続けたいと思っています。

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2011年4月20日 (水)

東北

今日から、福島、宮城、岩手をできる限りまわって来ようかなと思っています。僕が行ったところで、ただの野次馬にすぎないですが、どうしても現場を見ておきたいので、行ってきます。

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2011年4月19日 (火)

パーティー

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帰国しました。昨日は早坂が受賞したミズノスポーツライター賞の授賞式に参加の予定だったのですが、うっかり時間を勘違いしていて、逃してしまいました。夕方早坂と黄金町聴き舎にて合流。水晶のトロフィーも凄かったが、ポン一の賞金に拍手。呼んでもいないのにゴールデンタウン磯監督も偶然現れ、スポーツライター賞と同時受賞となった黄金町大島辰造文学賞(審査委員長田村禎史 副賞ワインレッドのビックスクーター)の受賞パーティーを開くことと相成り、一路中華街の名店華勝楼へ、おめでたい日ということで、フカヒレや伊勢エビの海老チリなどに舌鼓をうちながら、最高の宴となりました。その後、普段は足を踏み入れたことのない馬車道界隈のラウンジに行き歓談。楽しい夜となりました。改めておめでとうございます。

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2011年4月16日 (土)

ソンクラン最終日ぐらいは、水かけに参加しようなと思ったが、思いとどまりホテルの部屋にて、読書と原稿。夕方、涼しくなった頃、タクシーをひろってスクンビット界隈に行き、ぶらぶらと散歩してからホテルに戻る。今回、地方にも行こうと思っていたのですが、タイ全土で水かけをやっていて、取材にならないので、一度日本に帰って出直そうと思っています。今後はソンクランの時期を避けて来ないといけないですね。

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2011年4月12日 (火)

ソンクラン

明日から、タイの旧正月ソンクランということで、バンコクの街の中も心なしか、人が少ない。やっかいなのは、水をかけあいが、3日ほど
続くので、のんびりと出歩くこともできない。どの国にも慌て者はいるもので、気の早い連中は、今日から水をかけている。風邪をひいたうえに、カメラもあるので、休みということにしたいのですが、日程の余裕が、無いので、取材が入ってます。困りました。昨日から、友人のミスターが取材に来ていて、同じワタナベマンションに泊まっているので、楽しい滞在になりそうです。

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2011年4月11日 (月)

バンコク

8日にバンコクへと入り、こちらで取材を続けています。日本の各雑誌では地震及び原発報道に大きくページが割かれていると、今日電話で話した北のアニキから聞き、日本の雑誌をまったく見ていないこともあり、さすがに日本でどのような報道がなされているのか気になります。ただ、ここでじたばたしても仕方ないので、今年に入ってから取り組んでいるテーマの取材を日本から見れば呑気に続けています。ネパールに比べて暑く、冷房をつけたまま寝ていたら、鼻がムズムズしだして、バンコク恒例の風邪を引きそうです。今日は何とか冷房を切って寝るようにしたいと思います。

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2011年4月 8日 (金)

パタンの寺

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カトマンズでは、久しぶりに再会もあり、充実した時間を過ごすことができました。ネパールに来た当初からお世話になっている弁護士の友人は、昨今のネパールの政治状況に嫌気がさし、カトマンズ郊外の山村に移り住んでいました。彼の年齢は50歳。そろそろじっくり本を読んだりしながら、過ごしたいとのこと。彼は退役グルカ兵の待遇改善を求めイギリス政府を相手にした運動の顧問弁護士を務めたり、政治運動にもかかわったりして、常に激務をこなしていたので、落ち着いた時間を欲していたのでしょう。僕の仕事は、自転車操業でとてもリタイアなどありえず、走り続けなければなりませんが、時には寺を眺める余裕も必要ですね。

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2011年4月 7日 (木)

パタン

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昨日は朝からカトマンズの隣町、パタンへと行ってきました。この町の住民のほとんどはネワール族です。彼らの建築技術は秀でたものがあって、アルニコという名の職人が、北京に呼ばれ、建築技術を伝授したことでも有名です。パタンの寺院建築は見事なので、カトマンズを訪れる度に、足を運んでいます。特に早朝と夕方が人も多くなく、心地よいです。

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2011年4月 6日 (水)

ドゥリケル

カトマンズ郊外にあるドゥリケルという町に行ってきました。友人のディペンドラが国会議員の撮影をするためリゾートホテルに泊まるというので、リゾートホテルという響きにつられて、ひょっこりついて行った次第です。尾根の頂上付近にあるリゾートホテルは晴れた日にはヒマラヤも眺められる最高の環境。どんな部屋かなとわくわくしながらレセプションに行ったら、今日は満室なので、他のホテルに案内しますという無常な従業員のひと言。取材に訪れたカメラマン軍団に宛がわれたホテルは山も見えず、おまけに道路沿いでトラックやバスのエンジンやクラクションの騒音で満足に寝ることができず、散々な旅路となりました。先ほどカトマンズに戻り、ディペンドラと本屋をまわり、インドを代表する写真家ラグー・ライさんの写真集を買って事務所へと帰ってきました。タージマハルの写真集なのですが、写真の素晴らしさに気を取られて、良く確認せず買ったので、キャプションがフランス語であることをディペンドラに指摘されて気がつきました。フランス語はボンジュールぐらいしかわからないので、困りましたが、大事にしたいと思います。

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2011年4月 4日 (月)

アニールモモ

そういえば先日、ポカラを訪れたバックパッカーなら誰でも知っているであろうアニールモモという日本食レストランを訪れる機会がありました。初めてネパールを訪ねた時以来ですから、17年ぶりぐらいでしょうか。義弟の関係で、親戚づきあいに近いことをすることになり、親族一同食事に招待されたのでした。出されたのは日本食ではなく、ネパール料理でしたが、ネパールでは繊細な料理を出すことで有名なネワール族の一家なので、料理はおいしくいただきました。店の規模もちゃぶ台が数個置かれていただけの当時と変わり、2階にはゲストハウスも併設されていて、立派な建物に様変わりしていました。まさか、このようなかたちで再訪するとは思ってもいませんでした。オーナーのドゥルガさんと話していて、話題にのぼったのでは、当時と今のバックパッカーの違いについてでした。当時は、旅の情報は自分の足で仕入れて、他の旅人と情報交換しながら、旅をしたものでした。そのため日本料理屋や宿で、見知らぬもの同士すぐに意気投合したものでした。ドゥルガさん曰く、最近はバックパッカーも減り、パソコンで情報も簡単に手に入るのか、あまりお互い話をすることも少ないそうです。当時は、日本円で20円ほどのドミトリーに泊まり、いろんな人と日本の住所や電話番号を交換したものでした。今のバックパッカーはどんなスタイルで旅をしているんでしょうかね。当時は、人との出会いがどんな景勝地などより、楽しみでした。今ではバックパッカーのみならず日本人自体が減って、カトマンズの中心地タメルを歩いていても「ニイハオ」と声をかけられる始末です。昨日は一軒の土産屋の店員があんまりニイハオ、ニイハオうるさいので、店員にネパール語で、「お前は何を言ってるんだ」とドスを聞かせて言ったら、「顔が中国人に見えたので、すいません」と店員。ちょっと大人気なかったです。彼らにしてみたら、中国人も日本人も一緒なんですね。そんなわけで、日本人の存在感はどんどん薄まっている昨今のネパールです。

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2011年4月 3日 (日)

カトマンズ

西ネパールでの取材を終えて、首都のカトマンズに来ています。今回もカメラマンの友人の事務所で寝泊まりさせてもらっています。友人のディペンドラは料理が上手なので、自炊をしながら、写真の話をしたりして、楽しい滞在となっております。カトマンズは暑くも寒くもなく、心地よいので、しばらく滞在したいところですが、今年の2月から取り組んでいる取材の続きをバンコクでしなければならないので、今週中にはバンコクに入りたいと思っております。

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