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2011年2月

2011年2月27日 (日)

修理

カメラの点検とレンズの修理に銀座に行ってきました。17−35のレンズは8ヶ月前に治したばかりなのですが、またトラブル。無償修理にならないかと何度もお願いするが、6ヶ月以内でないと駄目とのこと。まぁ2ヶ月も過ぎているしなぁと、諦める。夕方帰宅し、ニュースを見るとリビアだけでなく、中国でもごたごたしている。中国に関しては、幾度も足を運んでいる土地なので、駆けつけたいという気持ちに駆られるが、ネパールとタイでの取材、ネパールで親族の結婚式に参列しなければならないため諦める。特にネパールでは久しぶりに、山の中の村を訪ねてしばらく過ごそうかと思っているので、楽しみです。ネットはもちろん、電気も無い村なので、俗世間と離れ、何ちゃって仙人として日々の営みを記録しようと思います。

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2011年2月26日 (土)

新宿で一本打ち合わせをしたあと、大久保に移動して、なかなかお互い都合がつかず会えなかったカメラマン仲間と会合、郡山カメラマンのエジプト、園ちゃんのタイ深南部の写真などを見せてもらいながら、羊肉の串焼きを味あう。その後、昨年のバンコク騒乱の時、現場で顔を合わせた八尋カメラマンも合流し、最近の中東情勢や写真のことを語り合う。このところますます世界情勢が混沌としてきたので、取材に時間を取られ、こうした集まりはなかなか持てないのかもしれませんが、極力時間を作って、刺激を得られればと思った次第です。その後、鎌倉に今枝さんを訪ね、深夜のファミレスでドリンクバーを何杯もおかわりしながら、タイ騒乱の電子書籍の感想を伺った後、明け方帰宅。来月の半ばから、どうしてもネパールに行かなければならないので、その前にやるべき仕事をこなし、できるだけ会いたい人に会えればと思うので、せわしない日々が続きそうです。いくつかお知らせです、友人の福ちゃんが運営するアジアン雑貨のネット通販専門店テッサhttp://www.thitsa.com/にて、先日発売された「タイの悲しみ、バンコクに流れた血」が購入できるようになりました。福ちゃんならではのセンスで集めた雑貨が集まっているので、のぞいてみてください。僕はビルマの竪琴が気になりました。それと、ミリオン出版からTABOO JAPAN」という雑誌が創刊となりました。いつもお世話になっている日笠氏が編集長の雑誌で、小説ひかりごけのモチーフとなった人肉事件の現場や八甲田山死の彷徨など、日本を騒がせた事件もののルポを中心に構成されていて、面白い読み物となっております。上原大将のドロボー部落、ターザン姉妹などが注目でしょうか。僕も天草にからゆきさんの痕跡を訪ねたルポなどを寄稿してますので、是非手に取っていただければ幸いです。

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2011年2月25日 (金)

夕方取材を終えてから、都内にて、福ちゃん、小池さんと会合。福ちゃんは写真を撮りにビルマに通っているうちに、現地の嫁さんをもらいどっぷりビルマにつかっている、小池さんはインドを中心に撮影を続けているカメラマン。写真のことから、昔話まで盛り上がり、楽しいひと時でした。それにしても当人は忘れていて、友人が覚えているということが多々あるようで、今から15年以上前、カメラマンとは名ばかりの頃、福ちゃんと一緒に伊豆の一泊2万円以上の高級旅館でアルバイトをしている時のこと。当時の同僚に空手が黒帯だと言うことを自慢し、鼻持ちならない者がいて、ある日ささいな事からその男と言い合いになり、気の短い僕は調理場でその男をぶん殴り、取っ組み合いをしているうちに板長が大事にしていた高級大皿を割ってしまったりと常に旅館はその高級感とは裏腹に大騒動だったのですが、ひっちゃかめっちゃかの事ばかりでなく、寮で僕が熱心にネパール語や英語の勉強をしていたことを覚えているという。そんなことあったっけと僕はすっかり忘れていたんですが、とんでもない印象ばかりでなく、たまには感心されることもしてるんですね。

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2011年2月24日 (木)

カダフィ大佐

昨日から茨城に来ています。取材をしている方が、本人の特定ができてしまう写真がNGなので、苦心しながら、撮影しています。それにしてもリビアをはじめ、世界情勢が気になります。何とか都合がつけば飛んでいきたいのですが、珍しく雑用が詰まっているので、思案中です。ふざけるなという声が聞こえてきそうですが、カダフィ大佐といえば、まず頭に浮かぶのは、プロレスラーの藤原喜明さんです。現在神妙な顔してニュースを読んでいる古館さんが、関口宏さんのちょっとお知らせのあと、金曜日午後八時からのワールドプロレスリングの実況をしていて、UWFのカダフィ大佐テロ行為にうって出るのかと叫んでいたのを思い浮かべてしまうのです。古館さんはどんな思いで、リビアのニュースを読んでいるんでしょうかね。昭和は遠くなっていきますね。

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2011年2月22日 (火)

雪中プチ行軍

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昨日は朝から群馬の榛名山麓を歩いてきました。2年前に行った時は春だったのですが、今回冬の絵を撮りたいと思い向かった次第です。目的の場所まで途中から道無き道を行くので、沢をわたり、雪をかきわけ、何とかたどり着くことができました。たいした距離ではなかったとはいえ、あんまり雪山をなめちゃいけませんね。森の中には、熊のような足跡があったり、あまりの雪の深さに、途中で帰ろうかと迷ったのですが、せっかく来たのだということで、歩ききった次第です。冬だから熊は冬眠してるのかと思ったら、冬眠しない熊もいて出くわすと危ないみたいですね。雪山の中を一時間以上にわたって歩いたので、ソースカツ丼とつけうどんを食べ、温泉に入って体を温め帰ってきました。

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2011年2月20日 (日)

横浜に帰ってきました。また明日から群馬へ取材に出る予定です。ちょっぴり雪山の中を歩かなければならないので、しっかりと準備しないといけないです。来月半ばから、また海外に出る予定なので、やることが多くありますが、体調管理をしっかりして頑張りたいと思います。

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2011年2月19日 (土)

刈谷市

愛知県の刈谷市に来ています。おそらく滞在するのは初めてなんじゃないでしょうか。学生時代に東海道53次をリュックに食料とテントを入れて、えっちら、おっちら歩いた時に、この界隈は通過している筈なのですが、とにかく暑くて、用水路にいっぱいナマズがいたことしか印象に残っていません。当時はまだ二十歳前後で体力を持て余していたので、今ではできないことを、やっていたんですね。静岡での取材はうまく行き、夕方からこちらに移動してきた次第です。明日こちらで取材の予定です。

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2011年2月18日 (金)

静岡に来ています

静岡にいます。旧知の方の取材で来ています。アポも取らずにいきなり、来たのですが、無事会うことができてよかったです。一本、電話を入れていけばよかったのかもしれませんが、何だかよそよそしい気がしたので、その方が経営しているバーに直接足を運び、明日時間をいただけることになりました。締め切りが迫り、もしこちらでお会いできなかったら、原稿での重要な人物だけにやばかったのですが、その時はその時で考えるかと、完全に思考が東南アジアの農村で、今日は、川で何も釣れなかったから、オカズはないぞといった感じでのほんほんと暮らしているおっちゃん状態です。このところ、寝不足が続いているので、早めに寝ることにします。

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2011年2月17日 (木)

宣伝

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朝から、タイの電子書籍http://itunes.apple.com/jp/app/id413623545のチラシ作り。フォトショップを使ったのだが、何度も失敗してようやく昼過ぎに完成。
タイの騒乱からそろそろ一年近くになり、チェニジアやエジプトなどで革命が相次ぎ、タイのことは皆さんの記憶からも薄れてしまっているとは思いますが、今から思い返してみれば、結果的にタイの騒乱というのは、太平洋戦争後からベトナム戦争、冷戦の時代と一貫してアメリカサイドにいたタイで起きたことに、アメリカと蜜月関係にあったチェニジアやエジプトで起きた革命とも繋がるわけです。言ってみれば、アメリカの支配体制の揺らぎが各地で起きているのではないでしょうか。何だかわかったようなことを言ってますが、もし興味が湧きましたら、是非電子書籍ご一読ください。宣伝ポスターを作った後、明日からの取材の準備をしていたら、いつのまにか日をまたいでしまった。早寝早起きを心がけようと思っているのですが、なかなかうまくいかない。今日から東海地方を中心にまわり、その後群馬県にも足を運ぶ予定です。なかなか厳しい取材となりそうですが、頑張ります。

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2011年2月16日 (水)

東京行脚

昼過ぎから、打ち合わせのため東京へ。道すがら入った書店で、エジプト関連の主要記事流し読み、もっと読みたいなと思ったのが本音。芸能人の記事も大事なのはわかるけど、どうにかならんかね。まぁ、友人の郡山カメラマンがそろそろ帰って来るみたいだから、戻ってきたらいろいろ聞けばいいか。こちらから、今回郡山カメラマンがエジプトで撮影した写真を見ることができます。http://web.me.com/koriyamaxphoto
東京では、中央公論新社にて井之上氏と今後の取材についての打ち合わせた後、八重州ブックセンターのカフエにて、巨匠及び巨漢上原一騎とガハハと笑いながら近況報告、どこか取材に行こうよなどと話すが、ここ数年そんなことを話しながら、なかなか実現しないでいる。久しぶりに一緒に現場を歩きたいものだね。それから、水道橋に移動して、新泉社安喜氏と書籍の打ち合わせ。居酒屋にてあれこれと話す。10時半過ぎ、居酒屋を後にして帰宅。何だかドタバタした一日でした。

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2011年2月15日 (火)

大雪

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ネパールに帰省する嫁さんを成田に送ったあと、成田でバンコク帰りのミスターと偶然遭遇。都内までミスターと戻った後、横浜にて早坂と会合。食事を取ったあと入ったバーでは、バレンタインということで、カップルの姿もちらほら。大雪模様で電車が止まったら困るということで、早坂は帰宅。その後、これまたバレンタインデーとはまったく無縁の黄金町聴き舎にて、雪を眺めながらしみじみと語る。10時をまわって、ベチャ雪が乾いた雪になってきたので、これはやばいぞと思い、黄金駐車場か
ら車を出し、雪道を家路へと走る。国道は無難に走ることができたのだが、家の前の急坂の八合目ほどで車があえなくストップ。レッドゾーン近くまで回してもまったく車が動かない。仕方なく車を降りて、足で雪をかきわけ、数メートル、かきわけ、数メートルと走り、何とか危地を脱する。家の駐車場にも雪が積もっていたので、深夜の住宅街にガシャ、ガシャと大きな音を響かせ不審な雪かき、最近実家に帰ってきたという幼馴染みが心配をして様子を見に来てくれた。何とか長いドライブ終了。雪の日は無理に運転せずに、素直に車を置いて帰りましょう。38歳にして学んだ教訓でした。雪道をノーマルタイヤでどこまで走れるのか、試してみたかったんです。このチャレンジスピリッツもご理解ください。

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2011年2月13日 (日)

写真の整理

今日になって、やっと疲れが取れてきたので、昼寝をしてから、今回の取材で撮影して来た写真の整理。このところすべてデジカメで撮影しているので、写真をハードディスクに落とし込む。デジカメをかれこれ本格的に使い出してから、3年ほどになるが、このところやっと慣れてきたかな。取材先から簡単に写真を送ることもできるので、もうフィルムで撮ることはないのかもしれないな。ただデジカメとは違ったフィルムの良さがあって、紙媒体に載せた時に、ちょっと曖昧な表現でわかりにくいですが、写真に重みと厚さがあると思うのです。90年代のグラフ誌と最近のものを比べれば、一目瞭然だと思います。家にもまだフィルムが大量に余っているので、今度久しぶりに使ってみようかな。ちなみに黄金町マリアでは二枚ほどデジタルが混じっていて、さらば中国では半分ほどがデジタルで、取材がやり辛い中国ということで、コンデジで撮った写真もけっこう入っています。今回の電子書籍では全部デジタルです。

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2011年2月12日 (土)

帰国しました

昨晩、帰国しました。わかっていたことですが、とにかく寒い。さすがに疲れたので、今日は昼まで寝る。それから慌てて起き、ナックルズ中山編集長と打ち合わせのため家を出る。柄にもなくホテルのラウンジにて、あれこれと話す。まだ体調がいまいちなので、打ち合わせ後、静かに家へ帰る。帰宅後、新聞を開くと、エジプトの記事が大きく載っていた。見事なほどの悪人面のムバラク大統領が辞任し、デモ参加者は大喜びの写真が一面。もう少し続くのかなと思っていたけど、終わっちゃいましたね。誰もが言ってますけど、問題なのはこれからのわけで、ムバラクという一つの統治機構が壊れたあと、どういう形で、政治体制を築いていくのか、僕の取材してきたネパールを例にとってみれば、90年まで国王を中心とした統治が続き、その後複数政党制が導入されましたが、うまく機能せず、マオイストが台頭したりして、ネパールの政治情勢は混乱したままです。破壊することより、作り上げることの方が遥かに難しいわけで、世間の注目も作り上げる過程より、派手な破壊の現場に目が行きますから、これから噴出してくるエジプト国内の問題はあんまり伝わることはないんだろうなぁと、思っている次第です。

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2011年2月11日 (金)

これから帰ります

昨日は実質バンコク最終日ということで、右に左にバンコクをうろうろ、とにかく偶然いろんな人にあった。伊勢丹界隈を歩いていたら、ヘイッと呼び止められたので、誰かと思ったら、ビルマ人ジャーナリストだった。バンコク騒乱の時に友人のOさんから紹介してもらい、それ以来だったので、スタバでしばしコーヒー。彼は、バンコクを拠点として、ビルマの反政府組織の取材を中心に動いているので、お前も取材に来いよと誘われる。アジアをフィールドにしている以上、一度は行かなきゃと思っていた場所ではあるので、近々行くと約束。彼の撮った映像を見る限り、戦闘は日常茶飯事のようなので、ちゃんと動けるようにしておかないといけない。その後、バンコクののどかなローカル酒場にて、室橋氏と会合。今日はこれから、空港に向います。日本は雪との不吉な情報がありますが。体が完全に南国仕様になっているので、体感気温はマイナス十数度でしょうね。

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2011年2月10日 (木)

アユタヤ ゆく河の流れは絶えずして

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アユタヤ日本人町に行くことができました。わざわざ、宣言するまでのことではないですが、19年前に辿り着けなかっただけに嬉しかったです。それにしても前回は、どこをほっつき歩いていたのでしょうか。そのことが気にかかりました。アユタヤを流れるチャオプラヤー川のほとりにいた記憶があるのですが、果たしてどこだったのでしょう。日本人町跡には、資料館もあり、日本人町の様子を少なからず伺い知ることができます。当時のアユタヤには日本人だけでなく、ヨーロッパ人、中国人、ペルシャ人などなど様々な民族が暮らしていました。当時の地図を見ると、日本人町はアユタヤの中心部から外れ、アユタヤの入り口にありました。侍も多かったでしょうから、アユタヤを守る役割を担っていたのかもしれません。ちなみに対岸はポルトガル人町です。16世紀から17世紀にかけてのアユタヤの日本人町に暮らした人々は、そのほとんどがキリシタンだったとのことです。豊臣秀吉から徳川幕府へと続くキリシタン迫害の歴史の中で、この地まで逃れて来たキリシタンが多かったということの証しでもあります。いわば日本を追われた棄民たちがこの地で暮らしていたわけです。今回は、現在アジアに暮らす日本人を取材して歩くうえで、過去の足跡も訪ねなければならないと思い。ボルネオのからゆきさんの足跡を訪ね、それよりさらに300年ほど前に日本を出ざるを得なかった人々の夢の跡を訪ねたわけです。チャオプラヤー川のほとりに立って川を眺めていると、儚さばかりが心に去来しました。ここで暮らした日本人たちは徳川幕府の鎖国や、アユタヤの滅亡とともに、歴史の回廊の中に消えて行ってしまいましたが、川だけが当時と変わらず流れています。新しい資料館やみやげ物屋ばかりが目立ち、ほとんど当時の痕跡も無い日本人町跡の様子を目にするにつけ、人間の一生も、虚しいもので、大河に流されていく水草のようなものなのかもしれません。

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2011年2月 9日 (水)

バンコク

昨晩、バンコクに戻ってきました。こちらでは、また黄色が騒ぎだしたり、カンボジア国境でもゴタゴタがあったりして、今年もいろいろありそうです。今日は、これからバンコク在住の友人たちと、昼食を取って、それからアユタヤに行こうと思っています。アユタヤには、いまから19年前に一度日本人町跡を訪ねに行ってるんですが、道に迷ったり、犬に追いかけらりたり、散々な目に遭い、結局日本人町跡に辿り着けず、這々の体で帰ってきた苦い記憶があります。今回はちゃんと着きたいですね。

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2011年2月 7日 (月)

連合赤軍

本来なら、今日は移動にあてるつもりだったんですけど、取材を諦めていたものが、タイ人カメラマンの好意に甘えて、取材出来ることになり、予想以上の成果をあげることができたという、何とも結果オーライの一日でした。そんなわけで、明日は朝から移動です。何気なくニュースを見ていたら、連赤の永田洋子さんが亡くなったようですね。こちらでは、関連のある取材をしていることもあり、へーっとニュースに驚いた次第です。連合赤軍といえば、狂気の集団というような見方をされることが多々ありますが、もちろん狂気の一面はあったでしょう。ただ、アジアの左翼ゲリラを取材してきた経験から言わせてもらうと、毛沢東思想にしてもマルクス主義にしても、所詮は理想論を掲げたバイブルに過ぎないので、そこに人間が介在すると、ポルポトや文革の例をあげるまでもなく、どう仕様も無い結果を生み出してしまうものだと思うのです。そう考えると、連合赤軍の榛名山や迦葉山のアジトでの同志殺害は悲惨なことではありますが、左翼運動の歴史から見たら、ある意味の必然だったのではないかと思うのです。ひと言付け加えないといけないのは、事件の背景を左翼運動の宿痾にだけ求めてしまうのではまったく間違っていて、勿論彼女の個人的な性格も関連しているのは言うまでもありません。ただ同時代を生きたおっさんたちが、石だかゲバ棒だかを振り回して、その後何事も無かったように就職して、当時の自慢をしている姿よりは、永田さんの生き方はどう仕様もないほど愚直で、その愚直さには呆れるとともにある種の共感を覚えます。彼女は左翼運動の本質を垣間見たのではないでしょうか。ただ残念なのは、連赤の同志殺害をあくまでも思想や主義のせいにして、個人に結びつける発言を聞くことができなかったことです。

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2011年2月 6日 (日)

ハジャイ旧正月雑感

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大賑わいの表通り、テロ警戒で巡回中の警察、そして立ちんぼ。昨日は、優しいタイ人のカメラマンと知り合うことができました。こちらの文化や自然を撮影しているカメラマンで、地元の人間しか知りえない対象にしっかりとカメラを向けているのが、印象に残りました。今日は朝から彼のピックアップトラックで、ちょっと山の方に行ってきます。僕の取材テーマを説明したら、そんなら乗っけてってあげようと言ってくれ、言葉に甘えてドライブがてら撮影と相成りました。あと4時間後には出発なので、もう寝ます。

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2011年2月 5日 (土)

ハジャイ

朝クアラルンプールからバスに乗り、降りる町を間違えたりしながら、何とか、タイに入りました。7日に取材のアポを取っているので、それまでの時間深南部にも行こうかと、思っていたら、旧正月の影響で、街中どこも中国人だらけで、夏祭り状態。宿もいっぱいで何とか巨大なゴキブリが這いまわる木賃宿を見つけ、何とかチェックイン。くたくたに疲れたので明日は休憩。夜中、遅い夕食を取り終え街を歩いていたら、クアラルンプールから休暇で来たというインド人のエンジニアと知り合う。意気投合し、とあるカフェでしばしの雑談。明日、彼はクアラルンプールに帰るので、まだまだ街を回るけど、どうだいと誘われるが、申し訳ないが次はクアラルンプールで会おうというこどで、先に帰って来てしまった。明日は休養して、あさって一日がかりで取材地に向います。

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2011年2月 4日 (金)

僕もクアラルンプールで考えた

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今日は中国の旧正月ということもあり、宿から目と鼻の先にある中国寺に行ってきました。そこではマレー系の使用人をつれた華人のお婆さんが熱心に祈っていたりと、新年らしい光景が広がっていました。僕も寺に入る前に帽子を取って一礼してから、パチリパチリと写真を撮っていたのですが、一番印象に残ったのは、寺の中に安置されていた華人たちの何代にもわたる遺牌でした。この地にしっかりと根をおろしてきた華人たちの凄みを感じずにはいられませんでした。今回旅したボルネオをはじめ、東南アジアの各地では、華人の姿を多く見かけ、食事も中華料理屋でよく取っていました。日本でもそうですが、日々の暮らしの中に中国から広まり、染みついた文化というものが多くあります。身近なものでは箸もそうですし、漢字もそうです。こちらでも、中華料理屋に入れば、ラーメンを箸を使って食べ、漢字のメニューがあったりします。そう考えるとアジアの中心にある中国から広がる巨大な文化圏の中を、中国の影響力のすごさを確認しながら旅しているような気分になります。あくまでもアジアだけで手前勝手に比較しただけですが、中国人はどこに行っても中国人ですし、一方日本人は、ここマレーシアで戦中に活躍したハリマオの例をあげるまでもなく、海外に出ると、当地の人々に同化しようという思いが強いような気がします。それはそれで柔軟な日本人らしいですけどね。

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2011年2月 3日 (木)

クアラルンプールに入りました。行きはよらずにすぐボルネオに行ってしまったので、街を歩くのは今回が初めてです。前にも書きましたが、インド系や中国系、マレー系、様々な人種が入り混じり、勝手な印象は何だか東洋のアメリカとでもいいましょうか。長くいたら、面白そうな土地ではあります。今後ますます人口減少が続く日本、マレーシアのような道、すなわち移民を受け入れて、モザイク国家になることも一つの国家浮揚策としてありなのかもしれませんね。クアラルンプールは今日一日だけいて、明日からバスに乗って北上し、タイ南部で一件、取材の予定です。こちらのバスは広々としているので、移動も苦にならなそうです。バンコクまでバス旅の予定です。

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2011年2月 2日 (水)

港町サンダカン

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サンダカンの町はとても気に入りました。町全体が時代から取り残されたような感覚があって、町が昼寝をしているようなところがここの良さです。人々も穏やかで、笑顔が素敵な人々が多いのも魅力的です。床屋の店先には、いつの時代のもの何だという写真や商品が並べられていました。一方で、海岸沿いは、おしゃれなレストランが建ちはじめ、ショッピングモールの建設も行われていて、少しずつではありますが開発が進んでいます。プチ横浜みなとみらいと言ったところでしょうか。夜になると、ゴキブリが這いずりまわっている裏路地に立ちんぼがぽつりぽつりといたりします。インドネシアから来た女性たちで、からゆきさんの時代から、春を売る女性たちの姿は連綿とこの町の点景となっています。明日は、サンダカンを出て、クアラルンプールに行こうと思っています。ただ町をふらふらしていただけで、あとはホテルで本を読んで寝ていただけなんですが、サンダカンを去るのは名残惜しいです。

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