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2010年11月

2010年11月29日 (月)

江戸から明治時代にかけて描かれた浮世絵、銅版画を早坂宅にて見せてもらう。当時の絵を見ると、日本経済の中心であった横浜の街には活気があふれているように見えて、描かれている人物の国籍も多様である。描いた浮世絵師たちは後世の資料という意識ではなく、生活の糧であったりしたわけで、人々の興味をひきつけるものが対象として選ばれた面もあるだろう。それが約150年の時を経て貴重な資料となっている。カメラが普及し、誰もが言わば浮世絵師でもある昨今、何を見、感じながら撮影しているのかということが、重要であることは言うまでもないが、淡々と撮り続けるということの大切だなということも改めて感じた次第です。

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2010年11月28日 (日)

大学時代の後輩たちと、年に一度の納会。馬鹿話で盛り上がる。当人が忘れていて、後輩たちに施した悪行が次々と暴露される。当時パン屋でバイトしていた後輩がいて、気を利かして時々パンを部室に持ってきてくれていたのだが、その日はたまたま余りが出ずに持ってくることができないため、申し訳ないと思いわざわざウーロン茶を買ってきてくれたのだが、パンを楽しみにしていた僕は、怒って張り手でもまずいのだが、当時流行っていた掌底を見まったという。さらには、東海道徒歩旅行の途中に後輩の家に押し掛け、特上をうなぎを御馳走させ、数日居座る。後輩の両親は「あの白いTシャツがまっ茶色になり、ビーサン履きの男は本当に大学の先輩なのか」と不安がったという。どうみても見知らぬ浮浪者が勝手に家に住み着いたようにしか見えなかったらしい。当時、野球をやっていたのが、盗塁の練習と称して、片側二車線の広い道路を赤信号になったら渡るという練習でも何でも無いことを強制させていたという。その無法行為によって、車にひかれる者まで出たという。ここまで来ると、先輩ではなくただの暴君であったと反省。「八木澤さんも丸くなりましたね」のひと言が唯一の救いか。丸くならなきゃ、やばいよ。

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2010年11月25日 (木)

このところ、昼はちょんの間事務所にて原稿書き、日が落ちるとともに、聴き舎マスターの同級生で横浜になぜか一時帰京している大ちゃんと夜釣りに出かけている。場所はみなとみらい。カップルばかりのデートスポットにあやしいオヤジが釣り竿片手に歩いてる。今日は純平も加わり、三時間ほどエンジョイ。釣れるのはスズキのこどもセイゴ。今週は釣り三昧といきたいですね。

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2010年11月22日 (月)

ちょんの間事務所の鍵を持って行くのをうっかり忘れ、きい坊茶、ルノアール、あずまの各喫茶店をさすらいながら、原稿を書く。何とかはかどったので結果オーライ。夕方聴き舎が開いたのを機に、事務所に戻り写真集を眺める。ひとつの土地を写した写真集を開いたのだが、風景写真とはその土地に込められた時の流れや国家や民族の歴史をも写し取ることができるのだということを再認識。そこまで写し撮るには、撮り手自身の人生観、歴史観、宗教観などがしっかりとその時の形で確立されていることが重要なのではないか。写真の奥深さ、そして怖さを改めて感じた次第です。時間を見つけては、写真集を眺めていきたいと思います。

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このところ、絵描きの純平と関内周辺を歩くことが多い。ほとんどはどうでもいい話をしているのだが、時には写真や絵のことを話す。絵と比べると、写真はクリアに被写体が浮かび上がってしまうので、かえってそれが嫌だなと感じる時がある。隣りの芝は青く見えるということで、自分に画才があったらなと思ったりする。以前にも増して絵画を見るようになり、かえって写真の良さが見えてきたりと、毎度のことですが表現というものに対してふらふらしております。このところ思うのは、見てくれる人がじっくり目を止めくれるような写真を常に撮りたいということです。

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2010年11月20日 (土)

聴き舎にて常連さんたちと、80年代のファッション談議。MA-1、リーボックならぬアーボック、反対側を向いていた偽ラコステのワニ、変な色をした偽アーノルドパーマの傘、振り返れば今の中国並みにトンデモ商品が溢れていたな。ある意味元気な時代だったのだろう。バーバリーのコートでばっちり決めて、この日聴き舎に顔出したマスコミ界の若きファッションリーダー文豪も、当時は八王子の田舎大学にケミカルウオッシュのボンタンジーンズbyマルカワをはき、三河安城のジーンズメイトで買ったレイトンハウスの煮染めたようなTシャツをまとい、秋には白いヤクザブルゾンをはおって30キロしか出ないポンコツイブスマイルで通っていた。昭和は遠くなりにけり。まぁ僕らの大学時代は昭和じゃないですが。

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2010年11月16日 (火)

G街パパスにて、撮影及びインタビュー。五十嵐マスターに無理を言って、開店時間前に店を開けてもらう。写真は記事に使われるかわからないが、その人と最初に出会ったのがパパスだったので、どうしてもパパスで撮影をしたかった。五十嵐さんありがとうございました。撮影後、歌舞伎町にて中園編集長と打ち合わせ。いくつか企画を提案する。2時間ほど話してから、中園さんは韓国バーでライターの金さんと合流するとのことで、一緒にどうですかと誘われるが、このところの夜更かしでの疲れと、どうも打ち合わせにお邪魔するのは気が引けるので、帰宅することにする。今日取材した人は40代後半で、80年代に世間を騒がせたとある宗教の信者でもある。その宗教の印象といったら今までの報道などからカルトのようなイメージしかなかったのだが、よくよく話してみると、納得できることも多く、改めて宗教を捉えることの難しさをかんじる。カルト的なイメージを持ってしまったのは、日本人からは理解し難い面が過剰に報道されていたこともある。どんなことを伝えるにしろ、どうしても目立つところにばかり目が行き、その背景などについつい目が配れなくなることが多々ある。そしてふと思うのは、7年ぶりに解放されたスーチーさん。軍政に対抗する民主化のシンボルといった見られ方をするが、様々な側面から彼女を捉えるリポートを読んでみたいと思った。

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2010年11月14日 (日)

ここ数日暖かかったこともあり、都内の取材に単車で向かう。このところ革ジャンなどを着て、いっぱしのライダー気取りでかっ飛ばす。年ともに反射神経や諸々の器官が衰えてきているので無理は禁物。夜横浜で大島軍曹と福富APECが開かれることになっていたが、疲れがたまっていたので逃げようとしたら、厳戒警備が続く横浜市内、赤信号を無視して突っ走ってきた軍曹の乗った暴走クラウンに見つかってしまい、あえなく出席。そんなわけで、ただいま午前三時半。長い一日がやっと終わりました。

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2010年11月11日 (木)

尖閣問題のビデオ流出、インターネットを中心に人々は右往左往、ネットの影響力というのは当たり前のことだが、見過ごせないものがある。ますますネットへの依存度が高まると、現実の社会への興味や関わりが薄くなっていくというよりは、ネット自体が社会や体の一部となってしまうのだろう。このような時代だからといって、特別にやることが変わるわけではなくて、粛々と作品を造っていくことは変わらない。そんなわけで、地道に取材をしていこうと思っています。

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2010年11月 8日 (月)

ジャーナリストの山路さんがミャンマーで拘束とのニュース。時には、ちょっと危ないなと思っても踏み込まなければならない状況が少なからずあるだけに他人事ではない。ただただ無事の解放を祈るのみ。こうした事件が起こると、イラクの時もそうだが、自己責任云々の議論がわき起こる。そうした議論が起こる昨今はマスコミがマスコミとしての役割を期待されていない裏返しでもあるのだが、ジャーナリストに自己責任を問うのはまったくの筋違いではないか。そもそもジャーナリストとは己の知りたいことのために危険を覚悟で身を投じる者だと僕は思う。それが結果的に社会に貢献する一面も少なからずある。特に軍政のビルマでは当局の指示通りに動いていてはまともな取材ができるはずがない。そして軍政から発信される情報には日本に暮らす人々が知りたいという情報はほとんどない。必然的に当局にとって非合法な取材をしていくしか選択肢がないのである。元々少数民族の迫害やジャーナリストを平然と殺害する独裁政権の国家自体がまともではないのだから、取材する側もそれ相応の覚悟で取材にのぞまざるを得ないのだ。日本政府は速やかに山路さんの解放に務めなければならない。

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2010年11月 3日 (水)

ひとまず単行本の原稿もひと段落したので、ちょっとのんびりしたい気分だが、そういうわけにもいかず。今日は横浜と新宿で取材。その後横浜に戻り、黄金町界隈で面白いペルー料理屋を発見、ただ看板娘につられて入ったという話しもあるが、手頃な値段で料理を楽しめるのが良い。といいながら晩飯は食べていたので、純ちゃんとインカコーラ350円を飲んだだけで店を後にする。今度ちゃんと食べに行こうと思います。

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