« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »

2010年10月

2010年10月30日 (土)

AD5923C4-6A93-42A8-AD63-C447072C7F92

金正男氏新宿に現る。ディズニーランド、吉原、錦糸町に続いて、新宿でも目撃情報。新宿のガールズバーにお気に入りの女性がいる模様。頻繁にメールのやり取りをしていたと目撃者談。

|

2010年10月29日 (金)

ツイッターを最近はじめたが、今いち使いこなせていない。あんまり肩肘張らずにふと思ったことなどをつぶやいていければ、いいのではないか。ただ気をつけないといけないのは、文字数が少ないだけに、誤解される可能性があるということ。本人が意図しない方向で発言が捉えられる可能生がある。まぁそれはそれで楽しめばいいのかもしれない。昨日は夜、純平と散歩がてら入った喫茶店で、なぜか絵を描く。技術など気にせず、ただ湧き上がってきた気持ちを描いていくと、良い気分転換になる。写真と絵、どちらも作者の心の中を写すものだけど、絵の方がより心をダイレクトに表現できる手段なのかなと思う。絵は対象をそのままキャンバスに描き出していくことができるが、写真は心を託す被写体を待ち続けたり、時には探して旅をしなければならない、それはそれで写真の魅力ではある。何時間も居座り、デカイキャンバスを広げていたにもかかわらず文句ひとつ言わないイセザキルノワールに感謝。

|

2010年10月26日 (火)

大学時代の先輩中嶋さん、早坂と黄金町界隈にて会合、カメラマンとは名ばかりの20代前半の頃、仕事を振ってくれたのが、中嶋さんだった。ガイドブックに掲載するレストランやホテルなどの撮影が主な仕事だった。最近テレビ出演して、テカテカスーツにシャツ姿がチョイ悪というよりかなり悪いオヤジを彷彿とさせる早坂も必死にトンチンカンなインタビューをしていたのを思い出す。当時一枚の写真を撮るのにあたふたし、ホテルの大浴場を封鎖してお客さんから苦情がきたりしたのを覚えている。今までの仕事の中で一番緊張してカメラを向けていたのが当時の仕事だったと思う。当時はカメラだけでは食えず、建設現場やバイク便の仕事をしながら、時おり中嶋さんが振ってくれる仕事が、カメラマンとしてのモチベーションを維持する貴重な時間だった。中嶋さんの存在がなければ、もしかしたらカメラを持っていることは無かったかもしれない。カメラマンとして仕事をして15年近く、今までを振り返った時、中嶋さんをはじめ多くの人々のお世話になりながら、何とか仕事を続けてくることができたのだとつくづく思う。今後、これまでの恩を少しでも返していければなと深く思う次第です。それにしても今日は良い夜でした。

|

2010年10月22日 (金)

昨晩は久しぶりに、窪田、山田、高橋の各氏と会合。G街パパスにこれまた久しぶりに顔を出す。何かビジネスをやろうかという冗談半分からは始まった話が、いつのまにか真剣に語り合い、ミスターが妙案を出す。マネーの虎に相談ということで落着。

|

2010年10月18日 (月)

土曜日は新泉社安喜さんと、黄金町のタイ料理屋及び聴き舎にて単行本打ち合わせ。あとは僕が原稿をわたすだけ。さっさと書かなければならないのですが、今日は草野球をやったりと、なかなかはかどらず。突然話しは変わります、全国的に言えることですが、ここ黄金町界隈でも夜の街が元気ありません。先日は、福富町にあるユニバースという大きな箱のパブが閉店してしまいました。野球の忘年会をやったり、とある友人は連日連夜通い詰めたり、とある友人はプレゼントに携帯電話やケーキを持って通い詰めたりと、様々なドラマが生まれた店でした。そんなわけで、エブリデー、エブリナイト、皆勤賞、首席卒業の純ちゃん、聴き舎マスターの三人で顔を出してきました。ちなみにケーキを持って通い詰めたミスターOは仕事で参加できませんでした。普段なら仕事をさぼってでも顔を出すのですが、どうしてもさぼれなかったようです。以前は賑やかだったこの町も、年々寂れていき。さびしですね。

|

2010年10月16日 (土)

バンコクからひいている風邪がなおりません。熱は出なくなったのですが、咳が止まりません。突然ですが、ツイッターをはじめました。皆さんぜひフォローしてみてください。ちょこちょこ更新しています。

|

2010年10月11日 (月)

本日、帰国しました。成田に到着して、高速バスに乗るといつも空を眺めるのですが、日本の澄んだ青空はいいですね。同じ青空でも国よって見え方は違うもので、やはり秋の日本の青空が一番だと思います。

|

2010年10月 8日 (金)

昨晩、バンコクに入りました。ネパールでは納得できる取材ができたと思います。ネパールで海外用に使っていたノキアの携帯が壊れてしまい。急遽、ネパールで修理をしたのですが、データがすべて飛んでしまい。困りました。さらにバンコクで電源を入れようとしたら、真っ白い画面だけが出てくる始末。今から5年前にマニラで中古で購入して以来、頑張ってくれましたが、ついに寿命のようです。仕方ないので、携帯を買おうと思います。こちらでは、日曜日にデモも予定されているようなので、その取材をしたりして、月曜日には帰国する予定です。

|

2010年10月 4日 (月)

_dsc2079_01

地方での取材を終えてカトマンズへと帰ってきました。今回13年間訪ねていなかった村を久しぶりに訪ねました。カメラマンとしてこの村のこどもたちのストリーを作ることからキャリヤをはじめた僕にとって、訪ねずとも常にこの村のことは心の中にありました。ただ、どうしてもひっかかるものがあって、足が向かなかったのです。当然、お世話になった村の人々には申し訳ないと思っていたのですが、どうしても足を運ぶことができませんでした。今回、ネパールのこどもたちを一冊の本にするという企画が進み、この村のこどもたちの今を見ずして、本は成り立たないと思い足を運びました。何の連絡もせずに、記憶を頼りに当時ただ飯を食わせてくれた上に、2ヶ月も3ヶ月も気持ち良く泊めてくれた村の家を訪ねると、友人の奥さんが僕を覚えていてくれて、「タカアキ、タカアキ」と笑顔を浮かべ出迎えてくれました。そして、「どうして何の連絡もしてこなかったの、手紙の1枚もよこさないで」と当然のように怒られました。10歳前後だったこどもたちの既に20歳を超え、ひとりは海外に留学していました。当時、仲の良かった友人たちも僕の来訪を喜んでくれました。彼らの笑顔を見るにつけ、とんでもない不義理をしていたのだと、改めて思い知らされた次第です。その日は久しぶりに友人の家に泊めてもらったのですが、藁ぶき屋根はトタンになり、土壁はコンクリート、電気も通り、テレビや冷蔵庫もあり、当時の面影はほとんど残っていませんでした。家の前の道路も舗装され、あれほどいた泥まみれのこどもたちの姿もありません。10年ひと昔と言いますが、まったく別の村になってしまいました。その日の晩、滞在時オテンバ娘だったカルパナが1枚の写真を持ってきてくれました。最初にこの村を訪ねた時に撮った写真でした。やせて頼りない青年が当時の僕で、その横が友人の奥さん、そしてこどもたちです。その写真を目にしたら、カメラマンになろうと決意した17年前から現在までのことが頭を巡り、感慨無量でした。そしてこの村に、ネパールに育ててもらった17年だったということを実感した次第です。

|

« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »