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2009年11月

2009年11月30日 (月)

取材で石川県と福井県に行ってました。12月は、原稿に取材に忙しくなりそうです。行き帰りと車で行ったのですが、帰りはさすがに疲れてしまい12時間以上かかってしまいました。久しぶりにうとうとしながら運転していまいました。通行量の少ない北陸道を走ってよかったです。今日はこれから原稿です。

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2009年11月25日 (水)

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昨日は酉の市ということで、マスター、大島さんと大鳥神社界隈を散歩。熊手を売る屋台、焼きゾバやお好み焼きなど、様々な屋台で賑やかだった。この界隈の歴史に詳しいマスターの話に耳を傾けつつ、屋台を冷やかしつつ練り歩く。もともとは遊郭街だった大鳥神社界隈も遊郭の建物はほとんどがマンションへと変わり、道の真ん中に植えられた柳に当時の風情が微かに感じられるのみか。元々酉の市は、真金町遊郭が江戸の吉原にならったことに起源があるという。今ではもちろん真金町の遊郭もなく、そこで働いた娼婦たちの姿もない。遊郭主やそこで働く女たちが商売繁盛を祈願したことからはじまる祭りの根っこの部分は見えなくなり、祭りだけが生きている。今年は横浜開港150周年、歴史ある松坂屋も潰れ、足繁く通っている黄金町も大きく姿を変え、今では警官が立ち、そこの住民に無礼な視線を投げかけている。色街などの行政から悪所と見なされる場所は、その成り立ちも、消え方も住民の意思というよりは、行政の意思が街の存続に大きくかかわっている。大鳥神社近辺の遊郭街がマンションやラブホテルに変わり、そして黄金町周辺も横浜市がアートイベントをやっているが、さっぱり振るわず、駐車場やマンションへと街は姿を変えている。街の生死を眺める場所として、黄金町や横浜はいろんなことを教えてくれる。

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2009年11月22日 (日)

やっとのこと野球で初勝利。勝つ喜びっていいですね。昨晩はささやかな祝勝会で盛り上がりました。本業のほうも頑張ります。

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2009年11月20日 (金)

電電スヌーピー、僕が小学校1年生から6年生まで所属していた少年野球のチーム名。可愛らしい名前のついたチームです。小学校時代は、毎週日曜日が嫌でたまりませんでした。今では大好きな野球ですが、当時は練習が憂鬱で仕方ありませんでした。小学校低学年の時は日曜日の度に、野球を辞めたいと親に泣きついていたのを覚えています。というのは鬼監督がいたからです。監督は商店街の牛乳屋さんで、少年たちから陰で牛乳屋と呼ばれていました。兎に角怖かった。「バカヤロー」、「コラーッ」は当たり前で、「死んじまえー」などの怒鳴り声がグランドに響き渡っていました。日曜日に練習場所であるグランドに行き、牛乳屋がいないと安堵感を覚えたのを思い出します。しかし牛乳屋は必ずグランドに顔を出しました。新日本プロレスに在籍していた前田日明さんが道場で練習していて鬼コーチの山本小鉄さんのベンツのエンジン音が聞こえてきたら、震えたと何かの雑誌で言ってましたが、ぜんぜんスケールが違いますが、牛乳屋の運転する軽トラのエンジン音が聞こえてくるとぞっとしたのを覚えています。牛乳の配達か何かを終えて、タオルを頭に巻いたその姿は恐ろしかった。僕が高校生ぐらいまでは監督を続けていて、近所の公園で電電スヌーピーが練習している時は怒鳴り声が家まで聞こえてきたものです。怖い牛乳屋ですが、とても人情家で優秀だった他の代に比べ、僕らの代はたいした成績を残せなかったにもかかわらず、焼き肉屋やラーメン屋に連れていってくれたり、優しい面もありました。今年になって野球を再開し、時には少年野球時代のことを思い出したりしていました、そんな時まず頭に浮かぶのは牛乳屋のことでした。それが虫の知らせだったのかなと今では思うのですが、不幸にもつい数日前、牛乳屋が亡くなりました。今日はそのお通夜があり、参列してきました。遺影を見たらあの怒鳴り声を思い出してしまいました。今こうして野球を楽しむことができるのも、少年時代の経験があったからです。仲間と野球ができることの有り難さをかみしめつつ、監督の御冥福を祈りたいと思います。ありがとうございました。

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2009年11月18日 (水)

無事取材を終えて横浜に帰って来ました。今回は栃木、福島、新潟をまわってきたのですが、取材の合間に高校時代から訪ねたかった福島県の只見に行ってきました。司馬遼太郎さんの小説「峠」の主人公河井継之助が亡くなった土地です。只見には記念館もあるので、是非行ってみたかったのです。記念館に着いた時には閉館時間の午後四時を過ぎていたのですが、まだ職員の方が残っていたので、「すいません、5分で見ます」とか無理を言って、何とか開けてもらいました。結局、気がついたら30分以上見てしまいました。職員の方すいませんでした。河井継之助は幕末の越後長岡藩の家老だった人物、戊辰戦争で薩摩、長州を中心とした後の明治政府の中心となる西軍と戦い、敗れ、その時の戦闘の傷により只見で亡くなりました。高校時代の僕は、ほとんど高校にも行かず、毎日ぶらぶらしながら、幕末の歴史小説を片っ端から読んでいました。幕末の志士というのは、明治政府を打ち立てた側にしろ、敗れた新撰組や会津藩などの旧幕府側にしろ、己の理想に殉じた人物が多かったのではないかと思います。当時、何をするでもなく、何の目標も見つけられない自分へのもどかしさから、幕末の志士に憧れの気持ちを持っていました。自分も一本気な生き方ができたらいいなと。そんな日々から20年、凛々しい幕末の志士のようにはいきませんが、カメラを持ちながら、何とかこの世の中をよろよろと歩いております。只見を訪ね、自分の性根に少しを喝を入れることができたのではないかと勝手に思っています。

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2009年11月14日 (土)

取材で栃木県にいます。まだはっきりしませんが数日滞在の予定です。先日、お世話になっている方の奥さんが入院され、お見舞いに行ってきました。突然襲ってくる病を見て思ったのは、いつ何時、何が起こるかわからないということ。人生は誰もがピアノ線のような細い糸の上を歩いていて、いつそこから落ちるかわからない。一日一日大切に生きないといけないなと思いました。それでも、ついつい明日や次の機会があると思ってしまうんですよね。

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2009年11月13日 (金)

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聴き舎群雄伝、第一回はハゲボンの登場です。携帯画面を覗き込む表情は何やら嬉しそうです。何を確認しているのかは、彼の名誉のために内緒にしておきます。その後彼はネオン街に消えていきました。聴き舎には滅多にやって来ないのですが、時おり銀座からひょっこり顔を出します。

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2009年11月 8日 (日)

帰国しました。ちょっと疲れが残っていますが、今日は午後から数日後に迫った試合に備え、チームの仲間と練習。相手は横浜市の大会で一部にも入ったことがある強豪。相手にとって不足無し、こちらは不足だらけです。強豪チームに相手していただけるだけ有り難い。もちろん初勝利目指して頑張ります。ただ天気が心配だな。

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2009年11月 7日 (土)

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ベトナムの空港にいます。飛行機の出発待ちで、あと6時間はいないといけません。発着の飛行機を見ながら時間をやり過ごしています。一休さんには許可を取ってませんが、結婚式の写真をアップします。手前のつるっぱげの男が一休さんで、その横が奥さんです。ミネラルウォーターのボトル一本でいつまでこのレストランにいられるかわかりませんが、冷たい視線に耐えながら頑張りたいと思います。

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2009年11月 6日 (金)

結婚式参加後、異国にてついついのんびりしてますが、今回は夏前から取材しているテーマに関する本を大量に持ってきて、ひたすら読んでました。ここ数日せっかく海外に来たのに食事に一度出ただけで、あとはひたすら部屋にこもって読書たまに日本シリーズ中継(海外で見れたことに驚きました)、そして野球のインナーマッスルトレーニング。日本にいると様々なことに誘惑が多く、ついつい怠け癖が顔を出すので、海外の方が読書に集中できるのです。取材テーマが大きいだけに今後の取材のポイントがかなり絞れてきました。あとは帰国後、更に取材をしていい原稿を書くだけです。

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2009年11月 2日 (月)

それにしてもいい結婚式だった。タイ式で行なわれた一休和尚の結婚式、昼の3時半からはじまって、延々と10時を回っても終わる気配がなかった。僕は途中で退席したので、何時に終わったことやら。会場にははるばる中国雲南省を旅してバンコクへ入ったアオキのモテスリムをはいたミスターバンコク氏の姿もあった。一休和尚は20歳からバンコクで暮らし、現在の会社に紛れ込み、十年近くこの地で暮らしてきた。そしてきれいなタイ人の嫁さんをもらい、日本から親族も呼んで行なわれた結婚式は素晴らしくない筈がない。僕はカメラマンとして式の様子を撮影していたのだが、物珍しさからついつい出しゃばりすぎちゃったかもしれない。こんど一休和尚に許可をもらって式の写真をアップします。

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