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2009年5月

2009年5月30日 (土)

終日休養、というのはインド滞在の終わりあたりから、首筋のあたりに湿疹ができた。てっきり汗疹だと思ってほおっていたのだが、汗疹にしては一向に良くならないので、ネットで調べてみたら、ヘルペスだということがわかった。どうやら疲れが溜まっていたので、発症したようだ。幸いにも帰国後、だいぶ湿疹が治まってきたので、このまま治りそう。確かにインド取材の終盤はずっとだるかったので、疲れていたのでしょう。バンコクに寄った時は、疲れも感じず過ごしていたので、げんきんなもんです。土日は休んで、来週から本格始動ということになりそうです。

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2009年5月29日 (金)

帰国しました。バンコクでは夢野、火田、蝉丸、マックスの各氏にお世話になりました。いつもぷらぷらしている僕に付き合ってくれてありがとうございます。今年中にまた立ち寄ると思うので、その際はまたお付き合いください。成田空港を出て、雨が降っていたこともありちょっと肌寒かったです。暑いバンコクから比べると、町中にクーラーがかかっているようです。今から17年ほど前、一ヶ月の予定の旅が三ヶ月に延びて帰国したのも、同じ時期でした。その時も日本のさわやかな風と適度な涼しさに、感動したのを今でもはっきり覚えています。あれから毎年、ふらふらと海外に出続けていますが、日本の4月と5月は最高の季節だと思います。ただ最近の異常気象、僕が帰国する前は暑かったようですが。

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2009年5月27日 (水)

午後から散髪、テーラーでシャツを受け取り、出来上がったズボンと合わせていたら、急にス−ツも欲しくなり、得意の衝動買い。夜から最近バリカンが壊れ中途半端なハゲ頭を露出させている一休氏、今は亡きアンドレザジャイアントを彷彿とさせる風貌を持った、Gダイスタッフでバンコクのひとりフーリガンこと、ミニアンドレ氏と三人で、居酒屋、そしてバーを巡る。二件目に入ったバーで店員と話込んでいると、どこからともなく、雷のような閃光が走る。光りの方に目をやると、一休氏がこそこそとカメラを向けていた。フラッシュの光がハゲ頭に反射して、昼間のような明るさになっていたのだ。その後、先日バンコクに来て、誰とも会わずこっそり日本に帰り、来月も懲りずに来ると宣言しているK井が起こした大事件、2007年K井大動脈破裂事件の現場であるナナプラザへ。一休氏は私用により撤収し、ミニアンドレ氏と真っ暗で、電気もついていないバーで反省会。深夜渡辺マンションに戻る。

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2009年5月26日 (火)

インド人経営のテーラーでシャツと夏用のスボンをオーダー、これがなかなかの仕上がり。シャツ3枚とズボンで一万円ほどなので、お得感はある。店員がビルマ出身のネパール人だったので、お茶などを飲みながら、ついつい長居。ビルマのネパール人といえば、だいたいが第二次大戦中日本軍がイギリス軍と死闘を繰り広げたミッチ−ナ近辺から来ていることが多い。彼もミッチーナ出身。祖父がイギリス軍のグルカ兵部隊として日本軍と戦い、そのままビルマに残ったのだ。7年前にビルマを訪ね、元グルカ兵の取材をしたことがあり、ビルマの話をしたら喜んでくれた。そういえば、先日イギリス政府が元グルカ兵にイギリスへの永住権と軍人年金をイギリス国籍の兵士と同額支払う決定をしたが、ビルマに暮らす元グルカ兵の老人たちは何の年金ももらっていなかった。ただ古びたビルマスター勲章だけが手元に残っているだけだった。イギリスも罪つくりな国だなとつくづく思う。

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2009年5月25日 (月)

バンコクに入りました。こちらでは、坂本兄やんから、彼の親友で新聞社のカメラマンをしているOさんを紹介してもらいました。日本では日々の仕事に忙殺されて、写真に関して語り合ったりすることが、中々出来ないのですが、同世代のOさんと様々な角度から話せて刺激的でした。Oさんは先日紛争が終わりを告げたスリランカへ向かうため、正味二時間程話し、またの再会を約束して別れました。そういえば、バンコク入りしているはずの銀座の不審者ことK井ですが、バンコクで会う事はできませんでした。飛行機出発の一時間半前までバンコク市内のどこかに滞在し、出発ぎりぎりに電話が掛かってきて、「また来月もバンコクに来ます」と伝言を残して帰って行きました。夜10時発の飛行機に乗って、朝方成田に到着し、そのまま銀座のオフィスに向かっている筈です。妙にすっきりした顔のはげ頭が銀座を歩いていたら、それがK井です。それにしても、もし飛行機が遅れたら、どうするのかな。K井よ慎め。

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2009年5月23日 (土)

デリー二日目は、オートリクシャに乗って、最近できたというショッピングモールに行ってきた。ほかにもいくつかショッピングモールができて、中間層が増えてきたなどと言われているインド、確かに裕福な層は増えているのだろうが、中国と同じように都市と農村の格差は広がり続けている。現にマオイストも東インドでは活発に活動している。まだまだインドは混沌としていると感じました。改めて来ないといけません。そういえば、銀座の不審者がバンコクに入ったようです。こちらインドの不審者も続きます。

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2009年5月22日 (金)

デリーの街中を散策、町を歩いていると一軒の本屋で、インドを代表する写真家のラグーライの写真集を発見。以前デリーというタイトルの写真集をネパールで買ったことがあり、できれば他の写真集も欲しいと思っていたので、値段は一万円以上したが、すぐに購入。デリーは暑いですが、町の中は混沌としていて、興味深いです。

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2009年5月21日 (木)

夜行バスに乗ってデリーへと戻ってきました。ダラムサラで、毎日通っていた食堂のおっちゃんと別れるときは、不覚にも柄にもない姿を晒してしまいました。僕が50年帰っていないおっちゃんの出身地の写真を上げたりしたものだから、食事をしょっちゅうタダにしてくれたり、昨日はわざわざチベットの織物の土産までくれました。おっちゃんもネパール語を話せるので、直接意思の疎通ができたのが良かったのでしょう。76歳のおっちゃんが、早く帰れることを祈っています、100歳になろうが帰ることを諦めないでと言おうとしたら。食堂の中でぽたぽたと涙が止まらなくなってしまいました。おっちゃんに悲しげな顔で「泣くな」と言われたら、これまたぽたぽた。別れ際に、普段はあまり撮らない記念撮影などをして、ダラムサラを後にしました。人に見せられないような記念撮影が多いので、たまにはおっちゃんウルルン滞在記も良いでしょう。

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2009年5月19日 (火)

銀座の不審者が先月に続いて日本脱出するとの情報や、どこぞの者とも知れぬ者が黄金町の我が事務所に勝手に侵入し、狼藉を働いたなどの情報が日本から届く。そろそろダラムサラを出て、デリーに戻ろうかと思っています。だけど暑いのは嫌だな。

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2009年5月16日 (土)

ダラムサラでの取材も何とか、大きな山を越し、あとはデリーにいつ戻ろうかと思案しています。ひとつの社会の取材をするということは、改めて大変な事だと思いました。人それぞれいろんな見方が存在するので、許される時間の中で、精一杯汲み取ったつもりですが、果たして結果に反映されているかどうか、それは僕の写真や原稿を手に取って下さった方々の判断になります。写真家でいつもお世話になっている今枝弘一氏の言葉がよく頭をよぎります。「八木澤君、僕らは断頭台に上がるか、ステージに上がって賞賛の拍手で迎えられるか、そのどちらか何だよ」ちょっと大袈裟ですけどね。その覚悟をいつも持っていたいと思います。

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2009年5月14日 (木)

前から気になっていた小さなレストラン。いつも混んでいて中々、入る機会が無かったのだが、たまたま昨日空いていたので、入ったら何と今年の二月に訪ねたチベットの村の出身者が経営している店だった。店の主人は76歳、50年前に村を離れてから一度も戻っていない。村に滞在したことを告げると、大歓迎してくれた。お世話になった通訳と彼の親戚が知り合いだったりして、話が弾みなんとも有意義が時間が過ごせた。何気なく撮った写真の数々を今日渡したら、これまた大喜びしてくれた。写真を渡して喜ばれるのは写真を生業にしている者の端くれとしてうれしい限り。どんな写真も気を抜いて撮ってはいけないということだ。懲りずに、ふらふらと海外に出続けているのは、やはりふとしたこのような出会いがあったりするからなのかなと思ったりする。それにしても、異邦人の僕が、50年も祖国に帰ることができない老人に、故郷の近況を聞かせる。これはおかしなことだ。

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2009年5月11日 (月)

昨日は、終日ゲストハウスに籠って原稿書き。昼食と夕食は近くのチベット料理屋でチベット風のラーメンともいえるトゥクパをすする。原稿の合間に取材対象者に渡すため持って来ている中央公論を読み直す。なかなか納得いく原稿は書けないものだと改めて思う。原稿を書く度に、何だか嫌になってきて、投げ出したくなるものだが、ゲームのようにリセットボタンを押すわけにはいかず、こればかりは仕事なので仕方なく気を落ち着けてパソコンとにらめっこ。今週はそんな日々が続きそうです。

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2009年5月 9日 (土)

ダラムサラの街中を歩いていたら、何人かのネパール人と知り合った。チベット人かと思って話しかけたら、ネパール人だったりして、ミルクティーを飲みながらダラムサラのことなど、いろいろと話した。おかげで撮影はストップしてしまったが、これもまた良し。何だかんだ10日ほどダラムサラに来て経ちますが、やっと町に慣れた頃に、離れることになりそう。デリーは連日気温が40度を越えているそうで、戻るのが億劫です。

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2009年5月 7日 (木)

今日は午前中から、とあるチベット人をインタビュー、アメリカ暮らしが長かったその人物は、聞き取りやすいブロークンイングリッシュではなく、アメリカ英語を流暢に話した。そうした人物にインタビューする際は、普段あまり使わないテレコが必須。何とか聞き取れたが、こちらの手前勝手流イングリッシュを忍耐強く聞いてくれた。毎回このような人物と出会うたびに、英語の必要性を実感するのだが、怠けてしまい、ブロークンな英語を話し続けている。ちょっとは真面目に勉強しようかな。

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2009年5月 5日 (火)

南アジアのドタバタが続いています。スリランカ、インドのマオイスト、ネパールではプラチャンダ首相が辞任。それぞれの国をまわって取材したいですが、今回はインドに集中しようと思っています。昨日、半日休んだのですが、疲れがかなり残っているので、今日は終日休みです。日本では読めなかった、古典を中心にたくさんの本を持ってきているので、じっくり読もうと思っています。チベット人の取材となると、どうしても宗教は切り離せないので、日本の仏教史もある程度掴んでおかないと、理解できません。そんなわけで、仏教の概説書と同時に方丈記や徒然草、平家物語などを読んでいます。海外の取材をすることによって、日本のことについて気づかされる。もう少し自発的に物事を知ろうとしなければいけませんね。

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2009年5月 3日 (日)

取材が予想以上にうまくいっているので、今日は半日休みです。一日休みにしたいところですが、通訳をしてもらっている青年の都合で、どうしても今日の午後訪ねないといけない場所があるので、仕方ありません。 昨日までちょっと風邪気味だったのですが、なぜか油っこいインドカレーを食べたら、少しよくなりました。あまり無理せずがんばります。

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2009年5月 1日 (金)

デリーから夜行バスに揺られて、ダラムサラという場所に来ています。デリーに比べたら、たいへん涼しいので快適です。旅行者も多く、毎日カメラを背負って町の中を歩いていると、時折カメラを放り出して、何もせずに過ごしたという怠け癖が、むくむくと心の底から湧き上がってきます。早く取材を終わらせて、バックパッカー御用達の茶屋でのんびり過ごしたいものです。他の取材でインド各地を回らなければならないのですが、ダラムサラ来て三日、あまりに居心地が良いので、このままどこにも行きたくないという気持ちも芽生えてきました。困った町です。

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