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2008年10月

2008年10月31日 (金)

黄金町聴き舎にて、以前よりこの界隈を知る方からお話を伺う。黄金町に関しては、黄金町マリアという形で一冊にまとめることができたが、僕にとってはまだまだ取材をしたいことが山ほどあった。例えば当時の状況ではちょんの間経営者に話を聞くことは難しかったりしたのだが、黄金町が解体されたことによって、今なら話してくれたりする。ちなみに昨日話を聞いたのは経営者ではないが、興味深い話を多く聞けた。雑誌や単行本で発表する事を前提に取材をすすめているので、この場では書く事はできないのだが、いずれ発表する機会もあると思うので、詳細はその時に。売春の街としての黄金町が消えてからも、ちょくちょく写真を撮り続けているので、いずれまた一冊にまとめたいな。

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2008年10月29日 (水)

何とか大阪取材の原稿を書きあげ、夕方から聴き舎にて新企画のインタビュー。黄金町取材の裏話やカメラのことなど諸々。来月中にはアップされるそうなので、詳細はその時に。

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2008年10月26日 (日)

大阪食い倒れ旅から帰って来ました。一緒に行った梁瀬氏と昨日は鶴橋で焼き肉、その後ミナミのスナックで大阪のおっちゃんに間違われ、今日は新世界で串揚げ屋をはしごして、つまみにたこ焼きを食べ最後はうどん。久しぶりにたくさん食べた。関西出身の梁瀬氏がガラッパチガイドとしていろんな場所に案内してくれたので、楽しかったです。ちなみにこのブログを読んでいると、毎日遊んでいるように思われますが、ちゃんと取材して来ましたのでご心配なく。

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2008年10月24日 (金)

連日、打ち合わせや取材で動き回っています。今後、取材していくテーマもいくつかはっきりして、来年に向けて忙しくなりそうです。明日からは先週に続いて大阪に行ってきます。

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2008年10月21日 (火)

無事取材を終えて、横浜へ帰って来ました。取材でお世話になった皆さんありがとうございました。その足で横浜へ取材に来ていた上原とトンカツ屋へ。その後ルノアールでしばし近況及び今後について話す。夜からは中園さんと聴き舎にて打ち合わせ、仕事の話もそこそこに、夕食を取ることも忘れ話していたら、いつのまにか深夜1時。店を閉めたマスターも合流して、タイ料理屋へ。店内ではカラオケがタダということもあり、白人男性と日本人女性が英語の歌を絶叫していた。我々も負けじと、桜坂(マスター)、みちのくひとり旅(八木澤)、冬のソナタ(中園)で対抗。冬のソナタをハングルで歌いあげた中園さんに店内の注目が集まる。ただマスターの中園さんは韓流スターみたいですねというゴマスリ発言はアウト。深夜3時くたくたになって帰宅。

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2008年10月18日 (土)

大阪にいます。昨日は日笠氏の運転でこちらに来たのですが、東名が所々工事をしていたので予想以上の時間がかかり、夕方になってやっと到着。天下布武スタンプを持っている信長の野望マニアの日笠氏にとって、東海道沿いを走る東名高速は、聖地みたいなもの。信長の野望に絡んだ地名が出て来ると、どこか興奮気味。道中一番興奮していたのは、伊賀忍者の里だった。伊賀と言えば芭蕉も有名なのだが、一切その名は出てこなかった。夜、取材を終えると氏は日帰りで東京へと戻って行った。帰路は関ヶ原を通って行くと言うので理由を尋ねると、先祖が関ヶ原の合戦にも参加したんですよと、よくある胡散臭い話を自慢げに披露した。ちなみに先祖は岡山の大名宇喜田家の家臣だったという。宇喜田家は負けた西軍だったので、おそらく氏の先祖も関ヶ原から一目散に逃げたことだろう。それだからこそ、日笠氏がいる。もし東軍に参加していたら、現在寂れた漁村に細々と存続している日笠家も高貴な家として現代史に名を刻んでいたかもしれない。それにしても。東京大阪往復約1000km、無事帰れたのかな。

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2008年10月17日 (金)

聴き舎にて、今後はじまる企画の打ち合わせ、何だかんだ話していたら12時をまわる。今日は5時起きで関西方面へ取材。久しぶりにフィルムカメラで撮るので楽しみ。フィリピン、ネパールとずっとデジタルで撮って、デジタルの良さもわかったが、自分にはやっぱりフィルムがしっくり来る。久しぶりにライカとOM-1で頑張ります。

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2008年10月15日 (水)

昼から日笠氏と茨城へ。取材で訪れたのは旧真壁郡。お互いにその土地から、連想したのは信長の野望に出て来る佐竹家の武将というのが哀しい。真壁郡は筑西市と現在名前が変わっているのだが、何で安易な名前にするんですかねと、武将の名前から変更されたことに日笠氏が憤りを感じていた。氏はかなりの信長の野望マニアで、今でも時には徹夜でプレイし歴史を塗りかえている。ほどほどにした方がいいですよ。

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2008年10月13日 (月)

昨晩は黄金町聴き舎にて、Mr佐川氏、森田カメラマンとアジア話で盛り上がる。真打ちの高橋さんも合流し、夜更けまで。その後、高橋さんとタイ料理屋へ移動し、さらに話し込む。それから我が家に移動し、仕事のことなど朝方まで。今日は昼から高橋さんと僕のおっさんコンビで鎌倉散歩。由比ケ浜から逗子マリーナをまわって、鎌倉駅から逗子駅まで景色を眺めながら歩く。良い運動になったのだが、豚骨ラーメン中盛りを食べてしまったので、プラスマイナスゼロか。

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2008年10月12日 (日)

ごろごろしながら夕方テレビを見ていたら、驚きのニュースが入ってきた。三浦和義さんがロスの留置所で自殺したという。数年前友人が編集長をしていた雑誌の仕事で何度かご一緒させてもらい、面識があっただけにニュースを見た時には、えっと思った。改めてサイパンからロスへ移送された時の新聞写真を見ると、何かを覚悟しているような表情に見えなくもない。僕が直接見た三浦さんは本性を隠すためなのか、何なのかはわからないが、仮面を被ったような雰囲気を三浦さんからは感じていた。ただロスで撮られた近影には素顔の三浦和義が写っているように思えた。仕事上いろんな人に出会うが、世の中ではなかなか見かけることができない人物であることは確かだった。三浦さんのご冥福をお祈りいたします。

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2008年10月11日 (土)

来月をメドに黄金町発の新たな企みをするため、マスター、森田カメラマンと作戦会議。話していたら、ついつい血がたぎってきて、拳をつくりながら話していた。何だかおもしろいことができそう。これからが楽しみだ。その後、中国取材帰りのHさんと打ち合わせ、いくつか企画を出す。昨日は早めに帰宅。と言っても12時をまわっていたが。

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2008年10月10日 (金)

黄金町界隈で古くから営業している飲み屋さんを、文豪、マスターと訪ねる。その後、マスターは店の営業。僕と文豪は鰻屋へ行き、ちょっと街をふらついてから聴き舎へ。このところ食道が炎症を起こし医者へ行ったと言う文豪。公式発表によれば、仕事上のストレスとのことだが、午前4時、関内駅前を歩いていたとか、福富町界隈を地図を睨みながらひとり徘徊していたなどの目撃情報もある。体調を考慮して、終電で帰った文豪を見送り、人生相談に応じるマスターのトークに時おり加わっていたら、今日も午前様。人の人生に兎や角言っている場合でないとひとり反省しながら、原チャリで帰宅。

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2008年10月 9日 (木)

夜から、ミリオン出版の福田君とお互いの近況を黄金町界隈にて、聴き舎に顔を出すと、マイノリティーコーヒーの笠原夫婦の姿も。聞けば最近、中学受験を控えた小学生たちが塾通いの前にコヒーを飲みに来ると言う。僕の小学校時代を思い浮かべると驚く限り。まずコーヒー1杯分の500円は大金だった。時おり今は亡きお婆さんの財布から小銭を失敬して、駄菓子屋に直行するぐらいで、喫茶店に行こうなんていうことは頭に浮かびもしなかった。塾が終われば、家には帰らずファミレスでだべり、帰宅して寝るのは深夜2時過ぎだとのこと。小学校時代、笠原店長は8時就寝で、僕はワールドプロレスリングが終わった9時には寝ていた。ちょっと想像を超える小学生たちだ。今時はそんな子どもたちが多いのかな。ここは笠原ヤンキーコーヒーで昭和イズムを叩きこんでもらおう。

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2008年10月 5日 (日)

カメ水槽の大掃除をしたあと、夕方から黄金町の仕事部屋へ。一階のバーでは田村マスターが開店前にもかかわらず眠たそうな顔で店の片付けをしていた。聞けば、ここ数日パブ通いが続いているという。グラスを拭く手を時には休めながら、念入りに携帯メールを打っていた。なるほど、英語の勉強を始めた理由がわかった。夜から僕にとって初めての単行本「ネパールに生きる」の担当編集者安喜さんがやって来た。文豪ボトルを勝手に飲みながら、談笑していたらいつのまにか終電がなくなり、映画館の副支配人浅井君も交えて、黄金町界隈を散歩。浅井君行きつけのバーにて朝まで。

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2008年10月 3日 (金)

このブログによく登場する文豪こと早坂隆君の新刊である戦時演芸慰問団「わらわし隊」の記録(中央公論新社)を読了。今年7月に出された本だが、海外に出ていたので読みそびれていた。普段何気なく目にしているテレビで、ほぼ毎日のように目にする吉本興業の芸人さんたち。今から遡ること約70年前の日中戦争、中国の戦地で戦う兵士たちを慰問するために、朝日新聞と吉本興業が連携して、芸人さんたちを戦地へ送った。その慰問団の名前がわらわし隊である。はっきりとした足取りがわからなかったわらわし隊の記録を当時の写真や資料を掘り起こしながら辿っていく。文中からはせつなさが漂う哀しい笑いの記録である。30代の書き手として同世代では触れられることがあまり無かった南京大虐殺や日中戦争に関しても多くのページを割き、僕も含めて、小中高校生時代に教えられた一方的な歴史観に対しても彼なりの立場を示している。戦後は一転して戦後民主主義の代表格となった朝日新聞の180度の方向転換変にも注目。メディアの信頼性というものにもついても考えさせれる。文章とは他に写真も掲載されているのだが、建物に入りきれなかった兵士たちが窓枠をつかみながらわらわし隊の芸を見ている写真には心動かされた。

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2008年10月 2日 (木)

中国取材でお世話になった中央公論新社の井之上さんが神奈川に引っ越してきたので、神奈川在住の仲間たちによる歓迎会と称し、ただの飲み会が黄金町の聴き舎にて開かれた。発起人の文豪、伝説の五対一ことミスターK、聞き流しマスターと相変わらずのどうでもいい話で盛り上がる。深夜1時すぎに聴き舎を出て、たまには賑やかな場所へということで福富町へ。どこから現れたのか、井之上さんとはまったく面識もないHIS釜井も合流し、文豪の取材のため外国人の方々と交流。店内では、聞き流しマスターが珍しく、真剣な目で話に耳を傾け、釜井はここぞとばかりに携帯を取り出し、ホッペをくっつけて、ちょっと構図が悪いなとかいいながら、ハゲ頭を光らせながら嬉しそうに何度も写真を撮っていた。ミスターKは美女と肩を組みながらブラジルへ行くと言い出した。微笑ましい光景が広がり、3時過ぎに各々方満足で店を後にする。その後、タイ料理屋に移動し、タイ人たちのカラオケを聞きながら、始発までの時間つぶし。しばしの滞在のあと店を出て、黄金町界隈を歩いていると、釜井が路上の立ちんぼたちを見て、あの人たちは男なのかな女なのかなと興味深々の様子。ひとり立ち止まる釜井をおいて帰宅。

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