« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »

2008年9月

2008年9月30日 (火)

昨日今日と雨が降ったので、電車で仕事場へ。駅までとぼとぼと歩いていると、原稿のアイデアが浮かんできたりして、バイクで通うのとはまた違った良さがある。今回書いている原稿は、ネパールやアジアでの取材を続けてきて10年以上が経ち、一つの事件を通じての僕のアジアに対する考え方の集大成にできればと思っています。そんなわけで、何とか良い原稿を仕上げたいです。明日はいよいよ清原の引退試合、清原といえば野球少年だった頃のヒーロー。甲子園ではあの阿波の金太郎こと水野率いる池田を撃破した準決勝が印象的だった。そして、日本シリーズでの涙。そういえば、ひと足先に引退試合をした桑田は欽ちゃん球団と、ただ最後の打席が欽ちゃんというのは可哀想だったな。ひどい三振だった。欽ちゃんも出しゃばらないで、桑田にしかるべきまともな打者を用意してあげれば良かったのに。少年時代のヒーローが年には勝てず引退していき、僕も年を重ねている。気ばかり焦る今日この頃。

|

2008年9月28日 (日)

数ヶ月ぶりに図書館へ行って資料探し。ついつい目移りして、テーマとは関係ない本を次から次へと手に取っていたら、いつのまにか閉館まで30分との放送。慌てて資料を探しコピーする。その後家に戻り、テレビをつけるも、スポーツの秋にもかかわらず、プロ野球のテレビ中継がない。この時期ぐらい放映して欲しいな。

|

2008年9月25日 (木)

今日も事務所にてひと仕事したあと、マスターのチャリンコで近所をサイクリング。横浜橋商店街でラーメンを食べて事務所に戻ると、ジャック&ベティ副支配人の浅井君の姿が聴き舎のカウンターに。僕もカウンターに座り、あれこれと熱く話す。彼は映画館経営をはじめて一年半が経ち、苦労話にも耳を傾ける。その後、次から次へとお客さんがやって来て、店が混んできたので帰宅。それにしてもマスターは聴き舎を名乗っておきながら、相変わらず大岡川に目をやりながら、話を聞いてそうで聞き流していた。

|

2008年9月24日 (水)

黄金町の事務所へ通う日々です。連日パソコンとにらめっこをしてます。夕方、仕事を切り上げて、聴き舎のカウンターに座り、マスターといつものようにべらべらと話していると、黄金町界隈の愉快な仲間たちというか先輩たちがやって来た。はじめは先輩方の話に相槌を打っていたが、そのうち先輩方も酔っぱらって、わけのわからないトークになってきたので、早々に退散。

|

2008年9月23日 (火)

事務所にて、昼から原稿に取りかかる。その後イセザキルノアールで国内をテーマにした取材の打ち合わせ。打ち合わせを終えてから、ブックオフに行きその資料を購入。連日、夜更かしというか徹夜が続いていたので、静かに家に帰る。久しぶりにナイターを見ようとテレビをつけるが、放送されておらず、本を読んで寝る。

|

2008年9月21日 (日)

横浜にて、文豪と大学時代の後輩と久方ぶりの再会。ユースホステル部という部活ながら、なぜか野球チームを作って野球ばかりしていた。秋にはわざわざ長野まで行って、合宿までしていた。それゆえ宿の主人は、我々一行を最後まで野球部と勘違いしていた。今を時めく、文豪もピッチャーとしてよく打たれていたが、文章技術ではなく、投球術を必死に磨いていた。10年ぶりに会う、後輩たちと当時の馬鹿話が次々と出て、大盛り上がり。それにしても、毎日遊んでばかりいて、何をしていたのか疑問符のつく大学時代。こうして10年ぶりに後輩たちと会って、笑いながら話すことができるということが、唯一の救いか。散会後、文豪と黄金町へ行き、いつもの聴き舎へ。田村マスター、女社長と朝までトーク。黄金町では、黄金町バザールなるものが開かれていた。アートを通じてかって売春の町だった黄金町を再生するプロジェクトだという。町の再生は大いに結構だが、どうして地元の人々とうまく連携できないのかと思う。町の再生を言うなら、現在暮らしている人々に元気になってもらうことが大事なことではないか。売春の是非はさておき、以前は売春の町であった黄金町。売春から活力を得て町というものが存在していた。まわりのラーメン屋、レストランなどの飲食店は売春の客が落としていく金から少なからず利益を得ていた。今では閑古鳥が泣いている店が少なくない。以前から比べると、人通りが少なくなったのは事実だし、売春ではない方法でかっての人通りを取り戻すにはどうしたら良いのか。答えを探すには、黄金町に根を下ろした人々との連携が不可欠ではないか。かってはちょんの間だった飲み屋さん、ちょんの間だった場所で、新たにバーや喫茶店を経営する人々と巻き込みながら、町作りを模索していくことが重要なのではないか。取ってつけたようなアートだとかバザールだとかが、一時の目くらましにならなければ良いが。

|

2008年9月20日 (土)

久しぶりに新宿に出て、プリンス、ミスターK、ミスターバンコク、HIS釜井、小松虎夫の各氏と会合。昨日バンコクから戻った釜井、慣れぬレンタルバイクの運転で、交通事故を起こしたりと、散々だったというタイ旅行の話を聞く、最近自称金回りの良い梅さんも合流。明け方に行ったバーでは、虎夫が大暴れ、勝手にドリンクを見知らぬ女性におごったりと泥酔状態。そんな虎夫をおいて、僕は始発で帰ったのだが、送りとどけたプリンス、Kコンビは大変な目に遭ったという。帰りのタクシーの中でも運転手に絡んで、10分で帰れるところを、30分以上かかり、おまけに先輩のプリンス、ミスターKのゴールデンコンビにもお前らふざけるなと絡み、やりたい放題。しばらく虎夫の謹慎が決定。

|

2008年9月18日 (木)

北海道から戻りました。取材も何とかうまくいったので良かったです。さすがに6月の末から取材続きだったので、ちょっと体を休めたいです。そんなわけで、家でゴロゴロしながら本を読んでおります。このところ読んだ本は、ジャーナリズム崩壊(上杉隆)、調べる技術・書く技術(野村進)、ペリュー・沖縄戦記(ユージン・B・スレッジ)、下山事件 最後の証言(柴田哲孝)などなど、特にペリュー・沖縄戦記は米軍の海兵隊から見た戦場なので、大変興味深かったです。

|

2008年9月15日 (月)

札幌におります。明日、こちらで取材を終えて、夜行列車で東京に戻ります。飛行機は苦手なので、列車で帰ることにしました。時間が許せば、飛行機は使わずに、列車や船を利用したいと思っているので、今回は少し時間に余裕があるので、いいかなと。北海道は食い物がうまいので、ついつい食い過ぎてしまいます。今日はスープカレーと味噌ラーメンを食べました。

|

2008年9月13日 (土)

ただいま北海道にて取材中。水曜日にこちらへ来たのだが、その日は高熱で朦朧としていて、飛行機の時間を2時間も勘違いしていて、危うく乗り遅れそうになる。成田だったら、完全に乗り遅れていた。こちらに来てから、北のアニキのアドバイスでカコナール2と葛根湯を飲んで、今日になって何とか回復。札幌から取材地まで片道3時間を車で送ってくれたりと、北のアニキにはお世話になりっぱなし。明日までこちらで取材して、札幌に戻る予定。札幌でも一件取材があるので、早く体調を戻さなければ。

|

2008年9月 9日 (火)

バンコクでの一休和尚との悪食及び悪行、昨日のミスターバンコク氏、不良サラリーマンHIS釜井、上原とのどんちゃん騒ぎなどの不摂生のツケが一気にやってきたのか、今日横浜で日笠大将と打ち合わせをしたあと、急激に体調が悪化。田村マスターとの夜釣りをキャンセルして、フラフラになりながら原チャリを運転し自宅へと戻る。バファリンを飲んで休養。明日から、北海道へ行かなければならないので、体を休ませなければ。そういえば、来週から不良サラリーマン釜井が休みを取って、バンコクに行くという。今度は大動脈を破裂させるなよ。

|

2008年9月 8日 (月)

連日の夜更かしで、ちょっと疲れ気味。昨日は朝までサッカーの最終予選。気がついたら6時になっていた。今日はカメの世話などして一日をすごす。3年前から飼っていたクサガメが今年の暑さのため死去。カトマンズで訃報を聞いた時は、ショックで悲しかった。取材中もクサガメの顔が浮かんで仕方なかった。現在はイシガメ、カスピイシガメ、ギリシャリクガメがそれぞれ一匹ずつ我が家にいる。もう死なせないようにしなければ。雨が止んだあと、黄金町の現在の様子を撮影するため、原チャリで向かう。聴き舎にマスターがいたので、今後の旅の計画などを雑談。その後薄暗い路地をひとり歩いて、深夜1時半帰宅。明日も夜、都内で撮影をしなければならないので、寝不足が続きそう。

|

2008年9月 6日 (土)

久しぶりに黄金町へと顔を出すと、聴き舎の田村マスターをはじめ皆さん元気そうで何より。中園編集長と打ち合わせをしたあと、一升瓶を片手に女番町もやって来た。深夜には料亭から文豪も合流。編集長と番町が帰ったあとも、マスター、文豪と内容のないトークが延々と続く。始発が走り出す頃に解散。

|

2008年9月 5日 (金)

無事帰ってきました。日本は蒸し暑いけど、バンコクよりはマシかな。これから事務所へ行き。中園ボスと打ち合わせ。原チャリ動くかな。

|

2008年9月 4日 (木)

Gダイアリーオフィスへ夕方から顔出す。杉山編集長へ不定期で連載しているマオロード・ネパール編の写真を渡す。マオロードとは、過去現在のアジアにおける毛沢東の影を取材しているもので、中国とカンボジアの取材を終えたところ。今後、フィリピン、日本などを取材予定。中国では、最早偶像となっている毛沢東だが、アジアの国ではまだまだ生きているのである。ネパールではネパール共産党毛沢東主義派が武装闘争を経て政権を取ったし、フィリピンでは新人民軍が未だに闘っている。日本でも今では静かにしている日本共産党も戦後直後には山村工作隊なるものを組織し、武装闘争をしていた時代もあった。そして新左翼運動にも大きな影響を及ぼしていた。僕には非情に興味深いテーマなのだが、マニアックすぎて、なかなか載せてくれる媒体がなどないだろうなと思っていたら、Gダイアリーの杉山編集長が興味を持ってくれただけでなく、取材が済んだ場所から不定期連載といった形で載せてくれているのだ。編集長に取材の成果を説明したあと、室橋編集、一休住職と雑談。いつものように一休住職の机はゴミだらけ。おまけにパソコンはわいせつ画像をダウンロードしすぎて、ウイルスに感染し、インタネットを開くにも5分以上かかる。その後、4人で居酒屋へ。カトマンズでの健康的な食生活からうってかわり、油物をもりもり食べながら、いろいろと雑談。途中、室橋さんが幽霊の話をはじめたら、一休住職の顔が途端に凍りつき、無口となってしまった。バンコク・タニヤ寺の住職なのに心霊話が大嫌いなのだ。深夜、とっくに閉店時間を過ぎた居酒屋を追い出されて、牛丼屋へと向かうが、生憎閉まっていたので、そのまま解散。

|

2008年9月 3日 (水)

バンコクの片隅にあるホテルで、ネットに接続しニュースや友人たちのブログを眺めていたら、タイのニュースが日本で結構大きく報道されていることがわかった。立てこもりの現場を出ると、いつも通りのバンコクで緊張感などない。そんなわけで、今日はこれから一休和尚のオフィスへ顔を出して、和尚軍団とバンコクを徘徊する予定。この街にいると、熱帯の気候からか、普段からだらけているのに、ますますだらけてしまう。それがバンコクの魅力ではあるのだけど、和尚をはじめこの街に住んで仕事をしている人は大したものだ。そういえば、「月刊現代」や「月刊プレイボーイ」などの雑誌が休刊するという。マスコミ界の片隅でほそぼそと生活する僕にしても、これはただ事ではない。今後ますます雑誌が減っていくのだろうな。こうやって、ネットに簡単に接続できて、日本のニュースを見れたりしてしまうことに、大きな原因があるのだけど、便利なものに流れてしまうものだからね。

|

2008年9月 2日 (火)

昨日は夕方から、ディペンドラを迎えに空港へ。そのあとナナプラザ近くのアラブ料理屋で夕食。シシカバブを食べてから、ディペンドラをゴーゴーバーなどが建ち並ぶナナプラザへ連れていく。ピンクのネオンと大音響の音楽に驚いた様子を浮かべていた。それから、首相退陣要求をしているデモの現場へ。先日とは違って、ちょっぴり緊張感があった。何だかんだ明け方まで、滞在して。午前5時ホテルへと戻る。今朝起きて、ニュースを見たらバンコクに非常事態宣言が出されていた。日本では福田首相も辞め、アジアはどこの国でも、ドタバタが続いている。そろそろ帰らないと。

|

« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »