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2007年10月

2007年10月31日 (水)

月曜日は、都内と埼玉をTさんと取材。土地を巡って、景色の良いところで車を止めて、写真を撮る仕事なんて、20代の頃に逗子の文豪や今では断筆し青森の山奥に引きこもっているSちゃんと一緒にして以来。早起きも苦にならないほど楽しい。ただこのような楽しい仕事ばかりでも、やはり飽きてしまうものなので、半年に一回はやりたいなと思っていたら、担当のTさんが今度別と出版社に移籍するということなので、おいしい仕事も今回限り。なかなかうまくいかないものである。友人の深川の巨匠こと上原が、イタリアを取材だか、観光なんだかわからない、グレーゾーンの旅を続けているとのこと。たた、ローマだかミラノのではなくて、シチリアのはずれをレンタカーで回っている。精力的に動いているなと関心。イタリア語しか通じないだろうし、アメリカでにわか仕込みのヨシイングリッシュも出番がないだろうな。そんなことを書いていたら、一緒に取材したバグダッドで通訳の青年を目茶苦茶な英語で説教していた。あのヨシイングリッシュが聞きたくなった。

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2007年10月28日 (日)

さよならワースト、また会う日までということで、木曜日は新宿にて高橋さん、Y君、Iさん、いつのまにか合流していたハゲボンとゴールデン街。新たな企画の話でもしようと思っていたのだが、やはりハゲボンがいるとそうはいかない。2年前にバンコクのゴーゴーバーで大動脈に亀裂が入り、現地で緊急入院し九死に一生を得たハゲボンだが、病気の原因である日常生活の乱れを未だに改めようとせず、ますます脂で体が膨らんでいる。こんなことではまずいということで、Y君、Iさんに誰かハゲボンのめちゃくちゃな生活を面倒みてくれる女性はいないかと探してもらう。一人いるということなので、この場で今度お見合いが決定。ハゲボンはカシスウーロンを飲みながら、むふふと笑顔を浮かべていた。その日は、高橋亭に泊めてもらい、バンコクにいるハゲボンの兄貴分、一休和尚の話題となる。やはり、乱れた食生活や諸々の問題で大動脈亀裂までとはいかないが、タレントの内山君状態になっている一休和尚。慌ててプールに通い出したとのこと。30代半ばに差し掛かってきた僕らの年代は、きちんと体調管理をしなければいけない。

 日曜日は昼過ぎから北千住で取材、そこについ先日騒動となったミャンマーに暮らしている福ちゃんが現れる。雨がひどくなって来たので、30分で取材終わり。それにしても大変な騒動だったミャンマーについて話しを聞く。福ちゃんの奥さんはミャンマー人で、今では現地でマンションを買い、旅行代理店を経営している。今回の騒動やら、何やらで出稼ぎの必要があり、夫婦で帰国中。福ちゃんとは10年の付き合いになる。出会いはカトマンズの寂れたレストランで僕が一人メシを食っていたら、ひょっこり薄汚い日本人が入ってきた。普段は無愛想な僕がなぜかその時は、何か福ちゃんの姿におかしさを覚え、笑顔を浮かべた。福ちゃんも笑い、その場で意気投合し、さらに一緒に写真を撮りにいったりして、仲良くなった。出会った当時は僕もカメラマンとは名ばかりで何の稼ぎもなく、福ちゃんもただのプータローで、一緒に旅館などで住み込みのアルバイトをしたり、時間ばかりあったので、いろんな話をした。あれから10年仕事がうまくいってるかはさておき、何とかやってきたということで、福ちゃんと会うと感慨深いものがある。

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2007年10月25日 (木)

ワースト

火曜日は、中央公論へ行き掲載する原稿の打ち合わせをIさんとする。その後、ミリオン出版実話ナックルズ編集長の中園さんに企画の電話。その際、中国のルポや友人のライター高橋さんと取材したTウッズ出生の秘密などを掲載してもらったワールドストリートニュース通称ワーストが散々な結果であり、名前の通りワーストであったと中園さんが言った。編集者人生で最悪の売れ行きで、成績が良ければ続けていくとの考えも脆くも崩れさったとのこと。巻頭カラーを任された者として、少し責任を感じる。それにも関わらず、海外ネタを打診。それから、トリガラ大将と大将が暮らしているマンションの目の前にあるホテルのロビーにあるカフェで歓談。一杯900円のコーヒーとチョコレートパフェをおごってもらい、静かなカフェで笑い声を響かせながら話す。大将はイタリアへ行くとのこと。僕も行きたいが、何せ金が無い。水曜日は、珍しく早朝4時半に起きて、6時東京駅集合でTさんと東京、埼玉を取材。早起きすると一日が長い。帰宅後レッズ対城南の試合を観戦。城南の強さが目立つ。

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2007年10月22日 (月)

昨日は、ネパールのダサインを祝うパーティーが行われるというので、嫁と二人で大森へ行く。ダサインとはヒンドゥー教の祭りで、日本でいえば正月みたいなもので、ネパール人は一斉に故郷へ帰る。故郷へ帰らない東京近郊在住のネパール人たちが、大森のレストランに集まった。ここ最近は、20歳前後の若いネパール人が多い、ほとんどが学生ビザで来ている。そんな中、ひとりのチベット人と知り合いになる。名前はソナム君。聞けば、ポカラの難民キャンプの出身。キャンプには、よくモモ(ネパールの餃子)を食べに行ったよと言うと、そのモモ屋を経営しているのが、ソナム君の父親だった。ソナム君もモモを握っていたという。何とも世の中は狭いものだ。ちょうど毛沢東の取材を続けている中で、チベット人難民の取材をしなければと思っていた矢先だったので、良い出会いである。パーティーは大盛り上がりだったが、あまりの騒々しさにすぐに退散。ソナム君は楽しそうに踊っていた。今日は、午後から神田でTさんと、取材の打ち合わせ。いつもと毛色の違った取材ができそうで楽しみ。その後、今回の取材はデジカメでということなので、ニコンD1Hのバッテリーを探しに秋葉原へ、純正は高いので、そうではないものを探すが、D1Hが現行品でないためかどこにも見当たらず。約5年ほど前のカメラで、画素数は300万画素に満たないが、まだまだ仕事で充分使える。それにしてもデジカメの寿命は短すぎる。30年以上前のカメラであるニコンF2やライカM5はまだまだバリバリ使えるのに、世の中進歩しているのか退化しているのか、よくわからなくなる。

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2007年10月19日 (金)

水曜日は、昼前に早坂と待ち合わせをして、新宿の寄席に行く。寄席に行くのは初めてだったのだが、落語家や講談師の小気味良い語りに引き込まれた。早坂はちょくちょく来ているそうで、さすがベストセラー作家は違う。その後、夕食を取ったあとゴールデン街パパスへ、ひとり飲んでいた梅島アキラと遭遇。最近はアイドルの発掘モノで景気の良い梅島、現場に出れば写真をゲットする仕事師ぶりに、発掘オジサンと呼ばれている。三人とも同じ学校を卒業していて、今では想像できないが、若かりし頃の早坂の暴れっぷりを話題に盛り上がる。途中からK兄も合流し、ぐだぐだと過ごしているうちに深夜3時近くなったのでパパスを出て、横浜に移動し横浜ラーメンを食べて明け方5時半に解散。木曜日は、前日の疲れもあり、夕方までゴロ寝。その後一本原稿を仕上げる。今日は、午後から飯田橋で角川書店K氏と単行本の企画打ち合わせ、以前からじっくり取材していたテーマなので企画が通れば嬉しいが、こればっかりは出版社の事情もあるので、待つしかない。その後ミリオン出版Y氏と神田で会い、いくつか企画の提案をする。それとつい最近でたワールドストリートニュースの反響を尋ねる。苦戦気味とのことなので、残念。帰宅後、巨人対中日戦を見て、カメにエサをやり、次の取材の情報収集。

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2007年10月15日 (月)

連載

昨日連載の打ち合わせで、F君と横浜で会う。次々号から雑誌を大幅にリニューアルするので、連載が終わるとの報告を受ける。「罪深きものたちのゆりかご」というタイトルで一年間連載を続け、あと一年は連載をしたいなと思っていただけに残念。せっかく取材もおもしろくなってきたところだった。ただこればっかりは、いくら嘆いても仕方がない。今日、週刊誌記者のK兄から電話が入り、ネパールのことについていくつか質問を受け、ネパールにも電話をする。久しぶりにネパール語を話す。見ず知らずの人間がいきなり電話をしても、田舎のネパール人は丁寧に応対してくれた。やっぱネパールは素朴で人が良い。今年は何だかんだでネパールにまだ行けていない。年に一度は行きたいのだけど、今年は無理そうだ。

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2007年10月13日 (土)

週刊日記

今週の火曜日は、ゴールデン街パパスにて、上原、アルファベット三文字の旅行代理店勤務のハゲボンと久しぶりに会合。ここ最近月一回の割合で有給を使い、バンコクやらマカオに行っているハゲボンの現地でのろくでもない報告に大爆笑。そしてまた今週2泊3日で、バンコクへ旅立って行った。僕は暇なフリーランスだから、休もうと思えば、いつでも休めるが、ハゲボンは曲がりなりにもサラリーマンである。大丈夫かなと、ちょっとだけ心配する。そして、木曜日は、写真週刊誌フライデー時代の同僚で、現在ニューヨークで新聞記者と活躍しているSさんが、ビザ延長のため一時帰国したというので、K、Y、Y、O、S、H各氏とこれまた久しぶりに会うカメラマンから自転車宅配便に転職した種五郎ら、元フライデー仲間で朝まで盛り上がる。我々には似合わぬ静でお洒落なバーで二次会をしたのだが、さすらいの編集長K氏の大声が静に流れるBGMを掻き消し、店の雰囲気をぶち壊していた。おまけに高価なグラスまで割り、K編集長流石である。そして、昨日は早坂と横浜で会合。木曜日に行われた内藤亀田戦について話す。ボクサーとしては、お話にならないが、ヒールとしては超一流であるということに落ち着く。黒いジャージで現れた亀田一家は、今から20年前新日本プロレスでA猪木と構想を繰り広げたハグレ国際軍団の姿とだぶって見えた。いい息抜きになった一週間でありました。

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2007年10月 9日 (火)

長井さん殺害事件

今朝、新聞を開いたら、ミャンマーでデモの取材中に殺害された長井さんの葬儀の模様が記事になっていた。長井さんが撃たれた頃、カンボジアを取材中でアンコールワットで有名なシェムリアップのホテルで、BBCかCNNで撃たれる映像を見た。その映像を見た時の感想は、民衆が逃げているのに、何で軍にカメラを向け続けていたのかなと思った。長井さんは、撃たれることはないと思ってあの場所に立ち、カメラを回していたか、それとも撃たれることは覚悟のうえだったのか。僕も時には、紛争地の取材をすることがあるが、取材現場だけでなく日常生活においても、常に死は覚悟しておかなければいけないと改めて思った。長井さんの死から学ぶことは、現場においてはリスクを避け続けていては、いい映像が撮れない。自分が望まず死んでしまっては、元も子もない。逃げることなく、如何に死なないで、取材を続けていくにはどうしたらいいのか常に考え、準備するということだ。長井さんの冥福を祈ります。

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2007年10月 7日 (日)

カメラ

成田空港を出て、横浜に戻るバスの車窓から外を眺める。8月末に日本を出た時に比べ、空が高くなった。秋の空だ。横浜でカンボジアで撮影したポジをミリオン出版F君に渡す。まだフィルムで取材が出来るのは、ミリオン出版のおかげ。いずれ、すべてデジカメで仕事をしなければいけない時が来るだろうが、その時はライカのデジカメを使いたいと思う。ちなみにカンボジア取材では、ライカとニコンを併用。やはり、ライカの静かなシャッター音とコンパクトなボディーは、一度使ってしまうと、手放せない。ただ、値段がどうにかならないものか。ライカは、決して飾っておくカメラではなく、どんどん現場で使ってこそ真価を発揮するカメラである。それと、お知らせ。只今発売中の実話ナックルズにて、熊本県天草の隠れキリシタンのルポを発表しています。是非、ご覧ください。勿論、使用カメラはライカです。

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2007年10月 6日 (土)

バンコクから帰国

バンコク最終日は、アジア発ゴーゴーマガジンGダイアリー編集部で、編集長杉山氏と、今後の掲載記事に関する打ち合わせ。その後、杉山編集長、自称バンコク唯一の良識派M氏、一休和尚と居酒屋に移動し夕食。閉店時間まで、様々な話題で盛り上がる。一休和尚自ら、油っこい料理を次々と注文し、そのぽこっと膨らんだ見事な太鼓腹に詰め込んでいく。僕もついつい食べ過ぎてしまう。一休和尚、食生活を改めた方がいいですよ。昨晩、大学時代バックパックを担いでアジアを旅して以来のエア・インディアで帰国。フルフラットシートで熟睡しているうちに、成田へ。機内はガラガラで、四人掛けの席に僕一人しか座っていなかったので、四列を占拠してフルフラットシートの完成である。このエア・インディアも今月一杯で、バンコクー成田線が無くなってしまうとのこと。残念な限り。

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2007年10月 4日 (木)

まだバンコク

昨日は、バンコク在住の友人でカメラマンの一休氏と梅花でコーヒーを飲んだあと、居酒屋で夕食。明日深夜発の飛行機で帰国するのだが、バンコクには一休氏をはじめとして日本人の友人がいるので、ついついのんびりしてしまう。今まで、ホームページの日記をほとんど更新してこなかったので、これからは今までよりは頻繁に更新していこうと思う。それなので、ホームページは今年中に閉鎖して、このブログがホームページの代わりとなります。

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2007年10月 3日 (水)

バンコク

カンボジアの取材を終えて、バンコクに戻ってきました。こちらで、いくつか今後掲載の記事について打ち合わせをして、今週末に帰国します。

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